トマトを食べる犬


           その体験がいじらしさを生み


ひとつ、そういう体験をすると、
いじらしくなるものだなあ。


ランを連れて、タカオさんのトマト収穫の手伝いに行ったときのこと、
朝五時過ぎ。


ランは野菜の好きなおもしろい犬で、
キュウリもトマトもうまそうに食べる。
その朝、ランをどこにつないでおけばいいか、
適当なところがないので、
トマト畑の横、草の生えているところにつないでおいた。


リードが長いので、ランの口はトマト畑の端にとどく。
だから、
「トマトを食べてはいけないよ」
と言って聞かせた。


ランはあたりをかぎまわり、うろうろするが、
トマトには口をつけなかった。
そこはわきまえているように見えた。


ぼくの眼が光っている間は、ランも勝手なふるまいはしない。
ところが、時間が経つにつれて、ランの鼻がトマトの畝の中に入りだした。


収穫の合間に、ひょっと見ると、
ランがトマトをくわえたようだ。


ランちゃーん、
近づいていくと、
見つかったか、というような神妙な顔をしている。
ランの口の中に、トマトが一個入っていて、
ほっぺたがふくらんでいる。
隠しようがないよ、その口。
まだ噛み砕いてはいない。


ランは正座した。
「だめ」
びしっとしかる。
ランはぼくの顔を見上げて、
神妙な顔をもっと神妙にした。
もういちど、
「だめ」
すると、なんとなんと、
口の中のトマトをぽろりと吐き出したのだ。
全く傷のついていない赤みがかったトマトは、
草の上をころころと転がった。


その日、帰宅するとき、ぼくは別のトマトを、
ランのおやつにあげた。
ランは口の中でつるつる転がるトマトをぱくぱく食べた。


そのことがあってから、
ぼくのランに対する気持ちが少し変わった。
犬もまたいじらしい。


ランは話を聞くとき、相手の目を見てじっと聞く。
分からなくても、くびをかしげながらも聞く。


いじらしいな、と思う気持ち、
人間の子どもに対しても、
ペットに対しても、
この気持ちが湧いて、愛情がいちだんと深くなる。