人が育つ社会


      人が育つ社会をつくること


アキオさんの農場に、
ウーフの世界的システムを利用する旅人、ウーファーたちがやってくるが、
若者からお年寄りまで、日本人、外国人さまざまだ。
この前、一緒に摘果作業をした人は、
日本の関東地方から来られたご婦人で、
定年退職後に、疲弊した自分をいやし、
元気をとりもどしたい願望をもっておられるように感じられた。
長年幼児教育に携わってこられたその人は、
今の教育の困難さを、リンゴの実を摘みながら話された。
親の困難さ、これはかつてなかったことだという。
その人の勤めていた学園の親たちは高い学歴をもっており、
我が子の幼稚園や学校の教育を、
自分たちにふさわしいものにしてもらいたいという要求が強い。
根底に教師たちよりも自分の方が上の学歴だという意識がある。
要求を受け入れられないときは、
教育委員会に教師の辞任を求めることもある。
まじめな人ほど、疲れ、心を病み、学校を辞めていく。


話を聞きながら、日本の社会がどのように変化していくのか、
案じられてならなかった。
子どもを虐待する親が増えているというデータも昨日発表された。
モノは与えても、心の育つ場を用意していないことに気づかない親、
食事もろくにつくらない親。
教師にもさまざまな問題があり、
教師が厳しく問われる時代になってきている。
親が親になり、
教師が教師になっていく、
そのことは、人間を涵養していく共生社会のなかで実現する。
親も教師も社会の産物、
社会をこのようなものにしておきながら、
学校管理を強化し、教育システムを変えても無理というものだ。


オランダから来た青年、
韓国から来た学生、
オーストラリアからイスラエルから、
世界の各地からきたウーファーの心優しい青年たちに混じって、
日本の青年たちも自分の英語で会話し、
仲良く作業し、暮らし、
また次の旅に出て行く。
そこに日本の高齢者のウーファーも混じっていたことに、
興味をそそられた。
この小さな農場に、人を涵養する人間社会の萌芽を見る。


ドイツでサッカー・ワールドカップを観戦しているアーティスト日比野克彦が、
こんなことを語っている。
「今回の日本の敗退で、個の能力を育てようという意見が出た。
だが、個性というのは、優秀さを競うものではない。
下手くそなのも個性。
学力とかテクニックとか一つの物差しでは測りきれない。
様々な場所で体験型の講座を開くが、
集まる人間はバラバラな方がいい。
おじいちゃんの作品も、子どもの作品もそれぞれに良さがある。
お互いを尊重する中で、面白いものが生まれる。
それに対して、学校は同世代しかいない。
学力を伸ばすには効率的なのかもしれないが、
個性を伸ばすのは難しい。
だから、それは本来は地域の仕事。
学校任せでは、飛び抜けた個は育たない。」(朝日新聞