教師になるための必須科目


       霧


一昨日が夏至だった。
午前四時半、太陽が昇る。
朝霧が周囲の森や山、村々をかくした。


四月まで五年間住んでいた奈良の葛城・金剛山麓の家は、
真っ黒な天井板の隙間をふさぐ板を張っても、
冬の寒風が屋根裏を吹き抜け、しんしんと冷えた。
ぼくは、防寒と装飾・美化の両面を考えて、
使わない古い障子を活用し、
紙をはがした骨組みの上に新しい和紙を張り、
四つの詩の一節を墨で書いて天井に貼り付けた。
一日が終わってベッドに入るとき、天井を見上げる。
詩は、眠りに入る前のひとときの感慨に寄り添ってくれた。
そのうちの一つが、グールモン(堀口大学訳)の「霧」だった。
フランスの田園詩。


シモオン 外套を著よ 黒塗の厚い木靴を履け、
二人して霧の中を行こう 船に乗った人のように。

其処では 女たちが 樹木のように美しく、
魂のように裸で居る 美の住む島の方へ行こう。
‥‥
さあ行こう 無垢の世界はいま 棺から出ようとしている。
‥‥
さああの島へ行こう 其処の山からは静かにひろがった野原が見え、
其処の野原には、牧草の新芽を食べる幸福な獣と
柳の木のように見える牧人たちと、
またぎで車に積み上げる 草束とが見える。
野原には なお日が当たり 羊の群は止まる家畜小屋に近く、
われもこうと ちしゃと、ういきょうとの匂う 庭のしおり戸の前に来て。
‥‥


四人の詩人の詩を書いたあの天井は、
やがて家と共に朽ちていくだろう。


数日前の雨上がり、東山に大きな虹が出た。
虹の足は時間と共に太く鮮やかになった。
ふりかえると、
常念岳をおおう雲間から日の光が放射状に射し、
天使のはしごを何本も地上に下ろした。
二十歳ぐらいの女の子が、
くっきり澄み切った大地と虹にデジタルカメラを構えながら、
あいさつを交わし、
野の道をぐるっと一回りしている。


今日は沖縄慰霊の日。
1945年、鉄の暴風の吹いた沖縄、
戦争は、漁業と農業に生きてきた平和な沖縄をずたずたに切り刻んだ。
平和の礎に刻まれた人たち、いまだ刻み込まれない人たち。
日本の教師になるための必須科目のなかに、
沖縄を訪ね、沖縄を知ることを入れねばならない。
ヒロシマナガサキを訪れたこともなく、
オキナワも知らない、
それでは教壇にたてない。
それは人間学の探究なのだから。
知ることは人間に成っていくことなのだから。


人間の歴史を自分の眼で知る、
平和と自然の奥深さを自分の身体で知る、
日本の教師の師、国分一太郎が言った「君、人の子の師なれば」、
教師として育っていくことは一生つづく仕事なのだ。