チャレンジする若者たち 2


         希望


近所の麦畑にコンバインが入った。
麦刈りだ。
このところ、大麦はすっかり枯れ色になっていた。
一反ほどの麦畑一枚を数条一挙に刈り取っていくスピードは、
キャタビラを響かせ、時速十五キロほどにもなる。
みるみる大麦は株元から刈り取られ、
一往復したところで、コンバインの上にアームが伸び、
農道に停車した穀物トラックの荷台に、
脱穀した麦が投入されていく。
コンバインを運転していたのは農家の奥さんで、
白いスラックスがすらっと長い。
日よけの防止に白いマスク、
トラックの方は旦那だった。
半分刈り取ったところで夫婦は交代、
旦那がコンバインを操作して進んでいく。
あれよあれよ、一反の畑を刈り取るのに、十五分とかからない。
機械化はやはりすごい。
このあたり一帯に点在する大麦畑は、
今日、すべて取り入れを完了した。


タカオさんは、田植えも二条植えの小さな共有の機械。
今度アイガモを入れる田んぼの稲は、赤米とか。
見れば、ヒエが稲の合間に葉を伸ばしている。
これほどヒエが根を張ると、
これからアイガモを入れたとして、
幼い足で田んぼの土を泳ぎながら引っかいても、
ヒエの根は土から離れない。
たいへんなことになるかもねえ、
とタカオさんはけろっと言う。
真夏になれば、
田んぼは、稲だかヒエだか分からないほどになってしまうだろう。
除草剤を一切使わないから、それまでに、
あの昔使った手押しの草取り機を探してきて、
稲間を前後させながらじゃぶじゃぶと、
かき回して取っていくしかないかねえ、
どこかの農家にあの草取り機、使われないで残っていないかしら。
もし残っていたら、提供してくれる人はいないかしら。
彼の年間収入は百万に満たない。
赤米は唯一彼のいちばん大きな収入源になる予定だったが、
これじゃ反収八俵にもならないでしょうね、と言う。
彼の田んぼの隣は、
緑も黒ぐろとした稲が既に分けつして元気に育ち、
水中には草の芽もない。
この農家の田は、反収十俵以上はいくでしょう。
そうだろうね、十二俵はいくかもねえ。


アキオさんが、リンゴの摘果をしているとき、
こんなことを言った。
過去の日本の農民文学は、暗い貧しい現実を描くものが多かったけれど、
もっと明るい夢をもったものにならないかな、と思うんです。
それは、かつての農民の現実が苛酷な現実だったから、
必然だったんだろうけれど。


「土とふるさとの文学全集」(家の光協会 1976)が出版されたとき、
作家の林富士馬がこんなことを書いていた。
「多くの『農民文学』と呼ばれている作品は、私には暗く、
あまりに自然主義風なところが多く、楽しさが足りないと思う。
なるほど、私たちの現実は、この現世は、決して明るくはなく、
また、たのしいものではないかもしれないが、
現実に対するつよい態度があれば、その観察の鋭い『眼』は、
読む者をして、救いとも勇気ともなる力が、生まれてくることを、
妄想する。」


アキオさんもタカオさんも、
彼らにつながってきた若者も、
裸一貫で、家も土地も持たないなかでやりはじめて、
食うや食わずの厳しい現実のなかで生きてきた。
その歴史はまだ十年に至っていないが、
彼らの誠実さや明るさ、開拓精神に触れて、
物心で支援する地元の先人たちがうまれている。
それが彼らの力となり、希望になっている。
ボウさんは勤めのかたわら、稲作もしているが、
彼もこの夏、街の若者に呼びかけて、
夢を追う農業のワークキャンプを企画しようとしている。


アキオさんがギターを爪弾いて、
新作の農場ソングを先日披露してくれた。
作曲し、歌う心は、希望の心である。