道を行く子ども


       大人のまなざしで守られる子どもたち


ゆっくりゆっくり車が走る。
その車の少し前や横をちっちゃな子どもがとことこ走ってくる。
走る子どもは二人、
車の中には運転しているお母さんと、三番目の子どもが乗っている。


「子どもが走って帰ると言うんですよ」
お隣の若いお母さんが言った。
近くの公園で夕方、お母さんは三人の幼児たちを遊ばせ、
そこから家路につくとき、
子どもたちは、走って帰ると言ってきかなかったんだそうだ。
何回かそうして帰ってきたのを見た。


ある日、朝保育園に行くとき、
長男と長女は、走っていく、と言った。
お母さんは、仕方ないね、と子どもを走らせ、
安全を見ながら、お母さんは車を徐行させていった。


えらいお母さんだね、いまどき、
とぼくは洋子に言う。
車に乗らないで、走る子どもにも、
子どもらしい子どもを見る思いがして感心する。
子どもが、自立していく意思を示すとき、
安全を考えながらも、その自立の意思を尊重していく、
それは賢明な親の愛情だと思う。


安曇野に来て、
下校時間帯に子どもの姿をよく見かける。
それはほとんど「珍しい」という感覚を呼び覚ます光景だった。
じつに当たり前の、一昔前の下校風景にすぎないがゆえに。


全国的に起こった事件によって、
集団下校や親の引率による下校が行なわれている。
だが、ここで見るのは、子どもたちが一人や二人や、数人、
話しながら、遊びながら、走ったり鳥や木を眺めたりして帰っている。
それは、安全対策に手が回らないからなのか、
親たちや学校に考えがあってそうしているのか、
そこは分からない。
だが、子どもの下校していく自然な姿はかわいく、ほほえましい。


ぼくが運転する車の前の横断歩道を、
今日も小学生がまっすぐ腕をあげて、渡っていった。
渡り終わるのを見守って待つ車の大人たちのまなざしが、
一瞬、やさしくなる。
子どもが渡るであろうと予測して、
ずっと前の方から、徐行する。


子どもの姿がある光景は、
大人たちの心ををやさしくする。