唐箕


        唐箕


大きな段ボール箱の宅配便が来た。
奈良の井上さんからだったので、中身が分かった。
わざわざ宅配便で送ってくださいましたか、申し訳けないことです。


それは引越しのとき、畑の農小屋に置き忘れてきた唐箕の一部で、
穀物投入口の四角な漏斗だ。
井上さんに今度安曇野に来られるときに持ってきてほしいと、
あつかましくも頼んでいたものだった。


唐箕の本体は、引越しのときトラックに載せてきた。
唐箕(とうみ)は脱穀した穀物の実とそれ以外を選別するためのもので、
ぐるぐる中の風車を手で回すと、
モミなど軽いゴミは遠くへ吹き飛び、
米麦などの重い実は下に落ちる。


五年前、奈良の御所に移り住んだとき、
休耕田を一反ほど近所の山口さんから借り、
その一部に小麦を栽培した。
脱穀は山口さんの農小屋にあった足踏み脱穀機を使い、
実の分別はこの唐箕を使った。
脱穀した小麦は、
大阪なんばの道具通りで買った手回しの粉挽き機で粉にし、
うどん、ぱん、ピザなどを作った。


唐箕は、大阪の河南町に住む久門太郎兵衛さんのもので、
自然農法家の太郎兵衛さんが庭にあった唐箕を、
もう使わんから持っていっていいよと、
ぼくにくれたものだった。


久門太郎兵衛さんは、奈良の白樫に天地農場を開き、
百姓小学校を開催しておられたこともある。
ブラジルサミットへは、ただ一人純農民として参加された。
自称ルンペン百姓、
戦争体験を経て、百姓に生き、
農薬の被害体験から自然農に開眼された。


唐箕には、「神風号」と墨書してある。
これを見た時、
十五年戦争の時の思想がこんな唐箕にも現れているのかと思ったが、
その後、ふと、
そうかもしれないが、
そうでないかもしれない、
と思うようになった。
「神風」という言葉を時代にくっつけず、
農民の生活から見たら、
唐箕の巻き起こす風は、
生命の元、穀物を分別する仕事をしてくれる、
まさに神の風。


この唐箕、大阪から奈良、そして信濃の国に来た。
すべて杉の木で作られたみごとな農民芸術、
中国雲南で同じものと見たときは、
稲作のルーツを見た思いがした。
どのように使うか、まだ未定。
教材、資料としても価値が高いと思う。


奈良での五年間、支えてくださった人たちのなかに、
井上さん一家がおられる。
中国の武漢大学へぼくら夫婦が一年間出かけていた間も、
井上さん夫妻は畑を守ってくださった。
そういう人の情で、ぼくらは生きている。