消えていく路地


       大和の路地 北京の胡同


だあれもいない、だあれも通らない路地。
路地は人をひきつける。
路地の片側、土塀がつづく。
土塀の上から新芽をふいた庭木がのぞく。
花が咲いている。
倉の白壁がにおう。
路地に落ちるのは木の葉と花びら。
路地は人の暮らしの狭間を通り抜けいていく。
足跡は見えないが、
何十代にもわたる、
人の通って、なじんできた、
土地の文化のにおい。


路地は通りから入ってまっすぐ奥へ連なる。
路地は優雅な曲線を描いて先へ続く。
奥の方で直角に曲がる路地がある。
また曲がってぽっかり裏通りに出る。
路地はかならずどこかへ抜ける。
抜け出たところに、
また人の暮らしと季節が待ち受ける。


路地は人を惹き付ける。
人とネコとイヌとネズミが通る。
昔、牛が通った。
馬が通った。
子どもが遊んだ。


大和の路地。
路地は美しい。


中国北京の胡同(フートン)を歩くのも、
なつかしく、楽しい。
胡同は、網目のように、数百年の歴史を連ね、
土塀やレンガ塀の内側に平屋の家屋が静かにひしめく。
風雨にさらされてきた木の扉が閉まっている。
レンガの一つ、瓦の一つに、
人の暮らしのけなげさが染み付いている。


胡同は、近代化の荒波で急ピッチで壊されている。
胡同がたたきつぶされた跡に、
天を突くビルが建つ。
人間の上に、人間の生活が、何階も積み重ねられていく。


日本でも、
中国でも、
世界中で、
人の暮らしを縫ってきた路地が消えていく。