「ルリユールおじさん」という絵本

 「ルリユールおじさん」という絵本がある。(いせ ひでこ作 理論社
 一人の少女が何度も何度も読んだたいせつな植物図鑑がぼろぼろになり、ページがばらばらになった。どうしたらいいだろう。少女は図鑑をなおしてくれる製本屋を探して歩き、パリの路地裏で、ルリユールという手仕事で本を修繕する工房を見つけた。パリにはこんな手仕事をする職人がいまだに店を開いている。少女はおじさんにこの図鑑を直してとお願いする。
 「こんなになるまで、よく読んだねえ。」
 「木がすきなの。木のことならなんでものっているのよ。」
 「一度本をばらばらにしよう。ルリユールということばには、もう一度つなげるという意味もあるんだよ。」
 おじさんは、もう白髪だった。おじさんのお父さんも、手作り製本の職人だった。
 少女が言った。
 「おじさん、アカシアの木すき?」
 作業が一段落して、おじさんと少女は公園に行った。そこに一本の大木があった。枝を横に長く広げている。おじさんと少女は頭上に伸びた枝の下を歩いた。
 「このアカシアは400歳以上だろう。ルリユールもそのくらい前からつづいてきた仕事なんだよ」
と、おじさんが言った。少女は言った。
 「わたし、おおきくなったら、世界中の木を見て歩きたいな」
 おじさんが言う。本はあしたまでにつくっておこうと。
 
 おじさんは、少年時代を思い出す。ルリユールだった父の黄金の手を。おじさんは、おとうさんのあとを継いだのだ。
父のなめした皮はビロードのようだった。それは背表紙になり、金箔でタイトルが打たれた。製本の工程は60以上あった。父は言った。
「名をのこさなくてもいい。ぼうず、いい手をもて」と。
 父の手は魔法の手だった。
 翌日、少女はルリユール工房へ出かけた。種から発芽したアカシアの小さな鉢を持って。
 ルリユールおじさんの仕事場に着くと、おじさんの窓に、完成した少女の本が立ててある。
 少女の本は、題名も表紙の絵も変わっていた。
 題名は、「ARBRES de SOPHIE」(ソフィーの木たち)と、金の文字が刻まれ、アカシアの表紙絵になっていた。
 少女は、さっそく図鑑を開いて、小鉢の芽を調べる。
 「やっぱり、アカシアのなかまだ‥‥」
 少女はおじさんに小さな芽を出した鉢をあげた。
  少女は、大人になって、植物学の研究者になった。


 この絵本の水彩画は、実にほのぼのとなつかしい。公園のアカシアの木は、見開きのページいっぱいに描かれている。たくましい幹から大枝を伸ばしていて、とても心にしみてくる。こんな樹が街にあったらいいなあ、と思う。
 絵本の最後に、作者・いせ ひでこのあとがきがある。
 作者はパリの路地裏を歩きまわった。そして小さな窓の奥で手作業をしている老人の仕事を見つける。その様子をつづった後に、こんな言葉がつづく、
 「窓ガラスのちいさな紙片に
『RELIEUR‐DOREUR』(製本‐金箔)
そして
『私はルリユール。いかなる商業的な本も売らない、買わない』」


 この街。
 樹齢400年をこえた木があるという公園。
 400年を超えて代々昔と同じ工程で仕事をつづける職人がいる街。
 長い年輪を刻む街。
 その暮らしの歴史を、今も生活の中に保存している人々がいる。
 それが人間の心に、安らかさ、よろこび、楽しみをもたらす。

 この一冊の絵本。
 それから日本の街を考える。今暮らしているこの郷土を考える。
 日本の街の中に、みんなが憩う、心が寄りあう、そんな広場がほしい。
 夏の日差しをさえぎって、すずしい緑陰をつくってくれる大木が、街のシンボルのようにそこにある。木陰にはベンチがあり、本を読んでいる人がいる、会話をしている人がいる、将棋をしている人がいる、犬の散歩の一休みをしている人がいる。樹齢何百年の歴史を生きてきた、木の肌をなでている人がいる。
 経済効果とは無縁のこの存在が、無限の価値になる。(つづく)