繁茂する草たち


       オドリコソウに替わってカラスノエンドウ


四月七日の太陽は、
朝五時三十七分になるともう東の山からぽんと昇っている。
一日ごとに日の出時刻は一分早くなり、昼の時間が長く延びるこのごろだ。
ネギの株間にもワケギの株間にもオドリコソウとホトケノザがにょきにょき生えて、
先端のピンクの花はネギやワケギの背丈を越すほどになったから、
今日は草取りだ。
オドリコソウの間から引っこ抜いたワケギはほとんど食べた。
味噌和えはやわらかくて、うまかった。


草よ。よう、まあ、これだけ生えたもんじゃ。
人間が手を入れなかったら、草たちはそれぞれそこに根を下ろして、
精一杯に繁茂する。
気温は上がり、土は有機質の肥やしをたっぷりたくわえ、
草の寝床はしっとりうるおっている。
最高の環境だね。


雑草がはびこって困る、と人間は思うが、
野菜も草も同じ環境の中で自分の一生を全うしようとしているだけの話。
今年は、オドリコソウとホトケノザナズナがやたらと多く、ハコベが少ない。
ちらほらツメクサにオオイヌノフグリ
この次はカラスノエンドウの繁茂が予想され、
すでにカラスノエンドウは、オドリコソウに替わって、ツルを伸ばし始めた。
ツルはぐんぐん伸びて回りの植物を覆ってしまう。


ほうっておけばたちまち野菜も草のなか。
そこで畑の中では、遠慮してらう。
それでも油断すれば、彼らはすきをねらって、あぜの斜面をはいのぼる。
生存競争という言葉とは少し違う。
たしかに強い植物が繁茂すると、
他の草を駆逐するように見える。
しかし、それはその環境にいちばん適合したものが、
元気に育っているということだ。
毎年同じサイクルではなく、
人間が一枚かんでいるだけに、
自然環境と人為と草の特性と、それらが組み合わさった植生になる。
人がどんな手を加えるか、
加えた手が草たちに影響を与える。
今年は、人間がなまけた分、
オドリコソウとホトケノザカラスノエンドウの活躍となった。


おれたち、ここを去れば、
おまえたち、どうなるかなあ。
心さわやか、一日、日の光を浴びて、草取りをしている。