怖いのはみんなが同じ偏見をもつこと


        怖いのはみんなが同じ偏見をもつこと


偏見を持たない人間はいないでしょう。
だれでも何らかの偏見を持っています。
ひょっとしたら偏見だらけかもしれません。


この私の見方は偏見かもしれないなあ、と気づけばいいのだけれど、
自分の見方は偏見ではないと思い込むからやっかいです。


田舎に都会の人がやってきて住みつきました。
田舎の人は思います。
どうも、都会の人は付き合いが悪いなあ。
都会の人は思います。
どうも、田舎の人は保守的だなあ。
その程度のことはよくあることです。


犯罪が起こりました。
外国人が×××。
不登校生が×××。
ニートが×××。
新聞やTVで、「×××」のところに犯罪名を入れて報道されています。
すると、この「×××」に付けられた修飾語、
「外国人が」「不登校生が」「ニートが」が、特殊化します。
さらに週刊誌やTVは、法を犯した人をおどろおどろしく書きたて、
その人の私生活を暴きます。


日本で増えている外国人へ、
差別的な意識が芽生え、
不登校生だから」「ニートだから」という理由付けが偏見をつくり、
「犯罪を起こす」にくっつきます。
かくして意識の中で、「異人」が作られます。


「困った人たちだ」「何かするかもしれない」という偏見が、
民衆の中に共通しはじめたら、
排除の意識が流れ出します。
それが危ないです。


インターネットのなかで流されている情報は顔が見えない。
名前も出さない覆面の発言の場合、
自己の発言に責任をとらなくてもいいという意識が働くのか、
とても公の席では言えない発言をしている人がいます。
読んでみて驚いた。
中国人への偏見が高じて、
中国人すべてが同じだと十把一からげに見なしている。
悪魔の箱を開いたみたいだった。


公然と蔑称を使い、
人をおとしめることで攻撃の快感を味わっているらしい。
彼は自分の姿を見ようとしないのだろう。
その記事が己の人格の卑小さをふんぷんと撒き散らしていることに、
全く気づいていないのだろう。


ファシズムは他の国や他の民族への偏見をあおりたて、それを利用して攻撃しました。
日本の戦争はそれでした。
明治維新以後のたびたびの戦争では、
戦意高揚のために偏見をあおり、
それが高じれば高じるほど、
兵士は残虐になっていったように思えます。
相手国の人間が虫けらになっていきました。
朴訥なやさしい農民だったのに。
美をめでる人たちだったのに。


アメリカ人は○○○、
ユダヤ人は○○○、
イスラムは○○○、
朝鮮人は○○○、
中国人は○○○、
この修飾語の次に何を付けますかね。
注ぎ込まれた情報によって作られた偏見から脱出して、
自由になって人間を見ることができたら、
好ましい○○○を付けることができるでしょう。


では、
日本人は○○○。