(9)<魂の泉をひらく先駆者>


          魂の泉をひらく先駆者



予言者は、時代を見ぬく賢者なのでしょうか。
学識をもって未来を洞察する人の予言は、仮説として提出されます。
ソ連の崩壊を、それが起こる10年前に予言した学者がいました。
ソ連の実態を分析し、歴史から割り出した仮説でしたが、その通り10年後に崩壊しました。
大日本帝国の崩壊を予言した日本人がいました。
日露戦争 の直後、たとえば夏目漱石は、小説「三四郎」のなかで、
「広田先生」に「日本は滅びるね」と発言させています。
現代では、世界規模、地球規模での危機を予言する人がいます。
将来への見通しがあって、今何をなすべきかと、模索もなされるのですが、
時代の動きを希望へのうねりに変えることができるのか、
人間の真骨頂が問われている現代です。


定時制高校の非常勤講師や宮城教育大学の教授をつとめていた竹内敏晴が、
1976年ごろ、こんな予言をしていました。
30年前のことです。


高校生がもはや学校を見捨てて街へ散り家庭に閉じこもり、
そこで崩壊する方向を選び始めたとき、
校内では中学生のエネルギーが噴火し始めたと言ってもよい。
だが今、かれらは「ことば」をほとんど持たない。
ことばが沈黙するとき「からだ」が語り始めるという人間の心身の危機的状況に
かれらは立っているのだ。
 ‥‥家庭や社会を巻き込んでいるからだの反乱も、
やがて、いっそう苛酷な管理体制によって鎮圧され、
少年のからだが、外見上更に無気力化されてゆくならば、
やがてからだは、より幼いレベル、
つまり小学校とか幼稚園とかのレベルで、再び火を噴くに違いない。
その徴候は、もうすでに現れている。
その時、暴力化するにはあまりに力弱く幼いからだは、
自閉し、自傷し、分裂し、自殺するという形に追い込まれることを私は恐れる。
  (「からだが語ることば  α+教師のための身ぶりとことば学」評論社)


竹内敏晴は、小学校、幼稚園で、再び火を噴く、と予言しました。
では今、幼児や小学生になにが起こっているか。
竹内敏晴は、さらにその時代から50年前にさかのぼって、
1925年に魯迅が書いた文章を提示しています。
次の文章です。


今日の教育なるものは、世界のどの国にしろ、
環境に適合する道具を数多く作る方法にしかすぎぬのが実情です。
天分を伸ばし、おのおのの個性を発展させるなどは、今はまだその時代になっていないし、
おそらく将来、そういう時代が来るかどうかもわかりません。
私は、将来の黄金世界にあっても、
おそらく反逆者は死刑に処せられるだろうし、
それでも人々はそれを黄金世界と思っているのではないかと疑います。


この魯迅の予言は、どうでしょうか。
竹内敏晴はこう語りかけます。


 この絶望に抗い、反乱したからだを内的な調和にまで持ち来たし、
「人間に成る」仕事をねばり強く手助けしようとしている教師たちが各地にいることも、
多少は私も知っている。
彼らは、その意味では、この、からだの荒野であるところの日本の教育界に、
いわば魂の泉をひらく先駆者たちであるといえるだろう。
今こそ教育者ということのいみが、
明治以後はじめて根底的に問われているのだと言ってもよい。


教師というものは、学校という舞台、教室という舞台を任され、
子どもの心身の育ちをゆだねられる仕事でありますから、
それは魂の仕事、たしかに「魂の泉をひらく先駆者」であると言えるでしょうし、
人類の未来にかかわる仕事であると言ってもいいでしょう。
教師になる人は、このような先人の著作を読んで、教育の門をたたき、
そのことばをしっかり心に刻み、
新たな実践の荒海に船出してほしいと切に思います。