(7)<清掃活動をクラスの核に>


        掃除(清掃)で変わる


一年間これを先生が先頭に立って本気で続けると、子どもは変わります。
クラスが変わります。
教室やトイレ、環境が変わります。


毎日の生活で、欠かすことのできない活動が掃除です。
これは無限の教育の場です。
私はこの活動を、最大限に活かそうとしてきました。
必ず子どもといっしょに、私も毎日掃除をしました。
子どもたちは、家でどれだけ仕事を手伝っているか、
我が家の掃除をだれがやっているか。
家で子どもたちは本気で掃除をしていませんでした。
家族の一員でありながら、家族の生活を作っていく役割を担っていないのです。


教室と廊下の掃除は、どのクラスも共通です。
それプラス、トイレとか運動場とか、図書室とか玄関とか、他の分担箇所が割り当てられます。
私は、あえてトイレを希望して、自分のクラスで引き受けました。
トイレ掃除は格別な意味があるからです。
生活になくてはならないものなのに、
清潔なトイレを求めているのに、
自分が清掃することは忌避しがちです。


4月の初め、私は子どもたちに掃除のやり方の導入をします。
まず教室の窓を全開します。
なぜ? ほこりを外へ流すためです。
風向きを見ます。ほうきで掃けば、ほこりがどうなるか。
どちらのサイドから掃き始めれば、ほこりを吸わないですむか。
次にほうきの掃き方を示します。
家では掃除機を使っています。
掃除機の掃除の仕方とほうきで掃くやり方とは違います。
ほうきの掃き方には理があります。
ほうきの種類によって掃き方が異なります。
ほこりの巻き上げを少なくして、床がきれいになっていく掃き方を示します。


次に、雑巾を子どもにしぼらせます。
多くの子どもは、丸めて両手で押ししぼりをするだけです。
子どもたちは、雑巾の洗い方、しぼり方を知りません。
雑巾も理に適った使い方があります。
全員の机を、きれいな雑巾で拭けるようにするには、どうすればいい?
子どもに問いかけていきます。
よく洗ってしぼった雑巾を四つ折りにたたみます。
拭ける面はいくつ? 八つ。
そう、八つの面を使うと、八回きれいな面で拭くことができます。


机の寄せ方、椅子の上げ方、すべて理の勉強になります。
どうしたら無駄なく、スムーズにできるか、
みんなでやりながら考えます。


トイレ掃除は、やり終わった後の充実感、爽やかさが格別です。
それを味わうには、そのような掃除をしてこそです。
不潔なところという観念があるから、やりたくない。
初めの導入実習で私は、いたずら心を出して、
大便器に手を入れてこびりついた汚れを取る格好をして見せたら、
子どもたちは、「汚いー」と叫んで逃げ出しました。


掃除は、「手抜き・ごまかし」というものを捨て去ることを学ぶ場です。
私のクラスが引き受けた四月当初、
トイレはそれまでの手抜きの塊みたいなところでした。
小便器は、水洗の水が流れないほど、タバコの吸殻が詰まっていたり、
汚れが茶色にこびりついていたり、
破壊箇所もありました。
それまで担当してきたクラスの担任が「手抜き指導」をしていたからです。


ものには順序があることを教えます。
初めに、下水管が詰まらないようにゴミ類をほうきできれいに取ります。
次に、便器の中のゴミを用具で取ります。
三番目、ホースで水を撒きます。
棒たわしで、便器を磨きます。
床をデッキブラシで磨きます。
水切りで水を切ります。
洗面台を洗います。


便器磨きは、自分磨きです。
あの汚かったトイレがみるみるきれいになり、
水がすがすがしく流れ、
安心して気持ちよくトイレで用が足せる、
そんなトイレが現れてくることを体験し、心で感じたとき、
こんな楽しい仕事はない、と子どもたちは感じはじめます。
その過程を先生は子どもと一緒に歩むのです。


このときの子どもの感想を、クラスのみんなに発表してもらいます。
あるいは文集や学級通信に載せて、読んでもらいます。
体験と感想の共有がこの活動を定着させます。
「詰まって流れなかった男子の大便器、
きょうも大前君が、スッポンスッポン(ラバーカップ)を使って大奮闘してくれました。
靴がぬれるのにもめげず、長い時間をかけて。
先生も一緒にやっていたら、とうとう流れたのです。
やったー!」


掃除は、環境を美しくしていく活動です。
同時に自分を美しくしていく活動です。
自分の観念を変える活動です。
「みんなと共に みんなのために」を感得する活動です。
「手抜きやごまかし」をしないで人生を楽しむ、
それにつながれば幸いです。