(2)<得意技をもつこと>

  
         得意技、好きなものを活用しよう

  
得意技をもつことをすすめる。
得意技がなければ、好きなもの、熱中するものでもよい。
自分のもっている得意技を隠していないで、子どもの前でやってみせる。
それは自分を知ってもらい、子どもとの関係を開いたものにしていくためである。
そしてそれは子どものもっているものを引き出していくための重要なステップになる。


阪神タイガースの熱狂的なファンである先生の野球談義に子どもたちは人間を感じた。
ボンゴ演奏の達者な理科の先生がいた。
童話を語ると子どもをひきつける先生がいた。
大車輪をぐるぐる回る体育の先生がいた。
先生の得意技に触れて、子どもたちは先生に親しみを感じ、好感をもった。
ぼくの高校時代の担任は登山家で、後にヒマラヤの登山隊長もつとめたが、
授業中にもよく山の話をして夏休みには北アルプスにも連れていってくれた。
その影響を受けて、ぼくも山に登るようになった。


畑作りが得意な先生は、学校に畑を作る。
昆虫の好きな先生は、昆虫採集と観察で子どもと仲良くなる。
将棋の好きな先生は、学級将棋大会で子どもをひきつける。
文集作りが好きな先生は、それを学級作りのキーにすればいい。
ワープロの得意な先生は、それで学級通信をせっせと作ればいい。
遊びの好きな先生は、校庭で子どもと一緒に遊ぶといい。
二十代の頃、ぼくは教室でよく歌を歌い、ゲームをした。
自己流でアコーデオンを練習して子どもたちの合唱にへたな伴奏をつけた。


ぼくの大学の山岳部は、歌う山岳部だった。
穂高でも、剣岳でも、夏の焚き火を囲んで、吹雪く夜のテントの中で、
みんなで何曲も合唱をした。
そういう時代でもあった、抵抗と連帯、新しい社会をつくっていこうとする学生や労働者の叫びが街にはあった。
教育創造のひとつの側面である野外活動が盛んで、屋内外の豊富な集団ゲームが子ども集団作りに役立っていた。


ぼくは歌とゲームを学級づくりのステップにした。
失敗して大笑いし、競い合って大騒ぎし、楽しむ。
やがてみんなは仲良くなっていった。
そして又クラスや登山部で山に登った。
文集もよく作った。
クラスの中に謄写版印刷機を置くと、子どもたちが複数の新聞社をつくって、記事を競い合った。


先生の得意技や熱中しているものを子どもが知ることで、先生を発見する。
子どもも自分の可能性を見つけて引き出していこうとする。
ぼくは将棋名人の子にしゃっぽを脱ぎ、ファーブルのような昆虫好きに感心し、
落語の得意な子に教卓を高座に演じてもらい、コマ回し名人に感嘆の声を上げた。
子どもに感心する先生の声とまなざしが、子どもをひきつけ、子どもを引き出していく。
先生は、自分を発揮し、子どもに感動し、自由な表現をする人である。