(1)<職場の影響は大きい>   


       職場に慣れ、惰性におちいるな


  
君は職員室に席をもらって、そこに座る。
ああ、自分もこの人たちの同僚になったんだなとつくづく思うだろう。
やがて、いろんな先輩教師たちの特徴や職場の気風がわかってくる。
そしていろんな教師の影響を受けはじめる。
そのとき、気をつけなければならないことがある。
深い討議や研究・研鑽があって実践が積まれていくのではなく、
「あの人が言うから」、「みんながそうだから」「この学校は例年そうしてきたから」という考え方だ。
惰性や習慣で行われていく日常性や、発言力の強い人、職場を牛耳っている人に、いつのまにか染まっていくことがよくあるものだ。
職場が停滞していて、新たな実践が生み出されてくるエネルギーが見られず、
教師たちは疲れて、無気力になっている、
そういう空気にどっぷり浸かっていると、いつのまにか「適当に、無難に、批判されないように、従来どおり、みんなに合わせて」やっていく教師におさまっていきやすい。


新任教師が、数ヶ月、数年で、教育創造のエネルギーを減退、喪失していくことのないように、どうすればいいか。
まず、だれから学ぶか、何から学ぶか。
もっとも学ぶべきは、黙々と創意工夫して教育実践に励んでいる先輩である。
その人のつくっている教材を見せてもらったり、授業を参観させてもらったり、子ども観、授業観を聞かせてもらったりすることは肥やしになる。
先輩教師の中には、世間話には熱心で、教育や子どものことは話題にせず、馬鹿話に打ち興じ、いかに手を抜いて楽をするかと考えている人もいる。
しかし職員室でそうであっても、子どもにたいしては案外おもしろい人間性を発揮している人もいる。
子どものグチを言い、子どもや地域、社会の批判をするばかりで、新たな実践に汗を流すことをしない人もいるけれども、
同僚みんなと楽しく付き合っていくことは大切なことで、狭い殻に閉じこもっていては、共に創っていく実践もできない。
肝心なことは、甘い慰めや、グチや謗りのなかに、堕落の臭いを嗅ぎ分け、
子どもたちと真剣に向き合っている同僚に学ぶことだ。


体験的教師像というと、君が学校で教えてもらった教師の姿が浮かぶだろう。
強烈な印象を与えた先生、大きな影響を与えた先生がいたら、その人の何が自分に大きなインパクトを与えたのか、考えてみるのもよい。
そのなかに自分への影響を見出すことができる。
子どもから試されることが連続し、それへの対応が空回りし始め、言葉が宙に浮き、気持ちの余裕がなくなってくると、子どもはますます言うことを聞かなくなり、クラスが荒れる。
悪循環の到来である。
そうなると精神的なダメージは大きい。
新任教師のころ、つぶれることなく、つぶされることなく、教師の道を歩むにはどうしたらいいか。
仲間とともに実践していく、まずはそれがベースになる。
教室のなかで、ひとり立ち往生して悩み苦しんでいる姿は、外からは見えない。
閉じこもるな。
仲間とざっくばらんに語り合う場をつくることだ。
そして全国各地の先人たちの実践を学ぶことだ。