将棋の駒

土曜日の午前中にOさん、午後にKさんがやってきて、教育論議に花が咲いた。
Oさんは中部地方の中学校非常勤講師、Kさんは首都圏の小学校教諭、Oさんは60歳に近く、Kさんは30代。
夏にやってきたAさんは50代前半の近畿の小学校常勤講師。
非常勤講師、常勤講師、教諭、それぞれ雇用条件、態様が違う。
三人三様だが、三人に共通するのは、過去いろんな仕事に就いてきた社会人としての経験の豊かさである。
講師の二人は大学卒業後公立校の教職に就き、その後退職し、他の活動に参加してから再び公立校に戻ってきた。
三人の教育への情熱は、たぶん他の同僚の意欲を凌駕しているだろう。話していてもそれを察することが出来た。
いろんな仕事や社会活動をとおして、世の中を見てきたし、人々と交わってきた。
だからこそ、教育への思いが強く、子どもを観る眼も、子ども育てる意識も意欲も、他の同僚以上のものがある。
こういう人たちが、教育委員会の雇用形態では、「将棋の駒」扱いされている。
講師は、一年契約で次年度の保証はなく、学校もその都度変わる。
穴埋めである。
Kさんは去年やっと正採用されたが、それまでは講師の身分が続いていた。
Aさんは、常勤講師でありながら、学校では教諭以上の働きをし、学年主任を勤め、リーダー的な教師として、重要な役割を果たしてきた。
校長はぜひ教諭にしてほしいと教育委員会にも報告書を出し、
昨年度は採用試験の機会が与えられもしたが、
結局、貴重な「将棋の駒」教員は、講師の身分のままにしておく必要があったのであろう、
普通なら不採用になるはずもない実力を無視して、教委は採用しなかったと、ぼくは思っている。
Oさんは、非常勤であるから授業の時間給で仕事をする。夏休みとかは給料はない。
それにもかかわらず、授業の中身は実に豊かで、生徒への指導力はたぶん抜群であると思う。


団塊の世代が定年を迎えた。
さらに定年前に仕事に疲れて退職していく人も多い。
経験豊富な、若手を指導して教育を創っていくリーダー的な教師は、数少なくなっている。
教育委員会は、予算がないからと、登録講師を利用する「人材派遣業」で、数のやりくりをしている。
学校のシステムが、教育のレベルをアップするように考えるのは、二の次三の次である。


Kさんは、この仕事は天職です、と言った。
「生き甲斐を感じますね、やり甲斐を感じます。」
Kさんが教諭になれてよかった、
風貌にも教師としての自信と誇りが現れている。


Kさんに、夏休み、教育研究の会に参加したかどうか、聞いてみたら、
いまの学校では、教育委員会主催の官製研修は多く、民間教育団体の会にはあまり行く人はいないという。
旅行にも行かない。
子どもは休日でも教師は休日ではないから、出勤しなければならない。


「でも、旅行は貴重だよ。どんな旅行をするかということも大切な観点で、
人間として、教師として、肥やしになる旅行をすることは欠かせないと思うねえ。」
沖縄の漁村の暮らし、北海道の農家の暮らし、昆虫、野鳥を研究する旅、
夏休みだからできるいろんな旅行がある。
「ぼくが校長なら、10日ぐらいは、肥やしになる旅行をしなさい、休んで行ってください、と言うけどなあ。」
経験を豊かにし、自然や社会を観る旅行、それが2学期に生きてくる。
ぼくは、よく子どもたちに自分の登山の話をした。

管理管理で、縛りつけるだけの校長では、教育の停滞はなくならない。