もっと子どもとお話を


     もっと子どもとお話を


のぶ子さんは少し酔っていた。
だから、心の中にたまっていた嘆きと憤懣が噴き出したのだろう。
子どもの荒れと教育の困難さ、その元にある親の生活の崩壊を、
叫ばずにおれなかった。
のぶ子さんは教員出身の市会議員、親と子どもの現実に日々直面している。
今の世の中、どうしてこうなったのだろう。
民衆の運動は生気を失い、生活の本源はバランスを崩し、心の欠如が露出する。
まずは今、何をすることなのだろう。


子どもも親も、
先生も孤独なんだと思う。
親は子どもとお話をする、子どもは子どもとお話をする、
親は親とお話を、先生は子どもとお話を、先生は先生とお話を、
話に花を咲かせて、たっぷりお話を楽しむ生活を取り戻すこと、
そこから元気も湧いてきて、なすべきことも見えてくるかもしれない。
自分の物語を語り、相手の物語を聞く。
やがて孤独もいやされて、心の砂漠も消えていくだろう。


今ぼくが住んでいる古い家、その物置から一冊の詩集が出てきた。
昭和51年につくられた、文庫本より小さな、遠藤盛子田園詩集、
「私は農婦」(ともしび社)というタイトルの、
わら半紙が茶色に変質している粗末な綴りの中に、
親と子の暖かいふれあいが生きていた。



     私の最初の詩

  三人の荒い男の子が破った
  大きな穴の障子から
  寒い風が吹いて来る
  外はボタン雪になったらしい
  「どうしてもこれだけ書かねば」
  かじかむ手をのばしのばし
  原稿紙の中に
  一字一字入れて行った
  最初の詩
  寒さとたたかって
  生まれた最初の詩
  祈って書き 祈って生れた
  最初の詩


     坊やのいたずら

  どうか坊やをそんなに叱ることは止めて下さい
  少々土を投げたり障子を破るぐらい
  神様はニコニコして見ていて下さいます
  あなたもあまり仕事ばかりせい出さないで
  坊やと一緒に時には障子を破ってごらんなさい
  あなたはまだこの障子に一ッの穴も
  あけてみたことはおありにならないのでしょう?


     糞を蒔きつつ

  鶏の糞をつまんだ手で
  文ちゃんのズボンをぬがせて
  おしっこやうんこをさせる
  やっと新聞のぐちゃぐちゃになったのを
  袖から出してふいてやる
  アカギレの切れた手の中に
  うんこがつかなかったのが幸
  その手でまた鶏の糞を
  麦の上にひろげる
  世話をやかせる文ちゃんのように
  これから又麦の刈り込みまで
  麦よ、お前も世話を
  やかせることだろう
  寒い寒いこの田へ私をひっぱり出して
  耕したり肥料をやらせたり


     傘を持って行こう

  濡れてもいい追っかけて行こう
  傘を持たずに行った者は
  頭からびしょ濡れだろう
  濡れてもいい、濡れている者を思えば
  高下駄の緒が切れているから
  ひこずりで行こう
  今頃はどの辺を歩いているだろう
  そういう間も、もどかしい
  ひこずりをつっかけて、一つの傘を抱えて
  裏口から行こう
  文典に見られると大変だ
  見られない様に植木の影を
  影を通って音を殺して走ろう
  さあもうこれでいい、ここまで来れば大丈夫
  一刻も早く行こう
  後も見ずに駆け出そう
  びしょびしょ足がぬれると
  下駄が、重い罪を背負っている様に
  感じられる


       私の天使

  文典は
  父を見ればタータンと言い
  おっぱいもパンもまんまで片付け
  片言で自分の欲求をやや
  表現しはじめたが
  どの一つも
  こちらが想像を
  たくましうしなければ聞きとれない
  けれど 誰の目にも素直に
  それと肯ける一つの動作がある
  レロレロエエエン
  彼は小さい手を組んで
  食前の感謝を忘れたことが
  まだない