ぼつぼつ出かけよう


         ぼつぼつ出かけよう


「では、ぼつぼつ行きましょうか」
「『ぼつぼつ』? さっきは『ぼちぼち』と言いましたよ。」
中国人の雪ちゃんに声をかけたら、そんな質問が返ってきた。
「さっきは、ぼちぼち行きましょうか、と言いましたか。『ぼつぼつ』と『ぼちぼち』は、同じですよ。そろそろ行きましょうか、という意味ですよ‥‥」
「『そろそろ』?」
「ああ、それも同じような意味で、次の動作にうつろうかなという気持ちを表しています。
急がないで、相手をせかさないで、ゆっくりと余裕を持って、次の動作にうつろうという言い方ですねえ。
これを擬態語、擬音語と言いますね。両方合わせてオノマトペと言います。日本語には多いですよ。
オノマトペはそのときの状況や音声をとらえて、ぴったしそれにふさわしい表現にしようとするんです。」
ぼくは雪ちゃんと北京の公園を歩きながら、擬態語・擬声語の話をした。
「では、ぼちぼち」
これだけで次の行動を暗示する。ぼちぼち帰りましょう。ぼちぼち終わりましょう。
ストレートに言わないソフトな言い回しで、相手の自主的な行動を引き出す。
川の流れる音、風の吹く音、太陽の輝き、雨の降る音、それぞれいろんな擬声語・擬態語がある。それを例にあげながら‥‥。
豊かな自然のなかで生きてきた人間の、繊細で豊かな感性が生み出した表現のかずかず、今も新しく生まれてくる表現がある。
人の皮膚や体の感じを表すオノマトペ
つるつる、つやつや、すべすべ、ぴかぴか、ぴちぴち、ぽちゃぽちゃ、ぷりぷり、てかてか、もりもり、かさかさ、がしがし、しわしわ‥‥。
赤ちゃんの皮膚、年寄りの皮膚、男性の皮膚、女性の皮膚、農夫や職人の皮膚、いろんな皮膚にいろんな表現がある。


大阪の街で、
「もうかりまっか。」
「いや、ぼちぼちですわ。」
「そろそろ景気もようならんとなあ。」
「このままじゃ、どんどん店もつぶれます。」
「うちも、もうちょっとでバタンキューになるとこでしたわ。」
「大手スーパーがどーんとできたら、駅前商店街はシュンですわ。」
「ある駅前商店街で、神輿(みこし)を出しましたんや。活性化のアイデアですな。それやのに神輿を担ぐ人のワッショイワッショイの声だけで、わびしいものでした。」
「昔はゾロゾロ人が歩いてにぎやかでしたな。」
「今は閉じたシャッターに足音がコツコツ反響してますわ。」
「ワイワイにぎやかな商店街にもどれませんかな。」
「人が寄って来たくなる、ぬくもりのあるホカホカの街づくりをせんとなあ。」


三月になったのに、昨夜はしんと冷え、山に雪も積もった。
今朝はきりきり寒かったが、
紅梅の香りがほんのり漂ってくる