和解へのプロセス

 

        和解へのプロセス


おわびします、とふかぶか頭を下げるシーンの報道が多くなった。
降りかかってきた火の粉を払い落とすかのごときおわびの陳列を、
カメラがとらえて報道する。
それはもう見たくない、聞きたくない。
懊悩し葛藤してしぼりだす、人間の生の謝罪こそ聞きたい。


形だけの謝罪は伝わらない。
本心からの謝罪は伝わる。
本心からの謝罪は、自分の非を率直に認めることだが、
自分の非を率直に認めるということは、
傷つけた相手の痛みを汲み取ることなしにはできない。


相手の傷みを想像すると、
自分の心はきりきり痛みだす。
後悔が、自分の心を切り刻む。
きりきり傷む自分の心がしぼりだす言葉、
それが被害を受けた相手の、傷む心に伝わっていく言葉の魂になる。


ハンセン病訴訟の和解のときには、元坂口厚生大臣の心の痛みが伝わってきた。
ほんとうの和解は、このプロセスなしに進まない。
謝罪にならなかったと感知するのは被害を受けた心であるから、
永田議員の謝罪は謝罪になっていないと、武部幹事長が言った。
次の日、永田議員は謝罪をやり直した。
国会で永田議員は、武部幹事長の席まで行ってふかぶかと頭を下げると、
武部幹事長も頭を下げた。
謝罪というプロセスのなかに儀式もあるが、
いっさいの駆け引きや利害の計算なしに、謝罪はおこなわれなければならない。


国と国の和解も、本当の謝罪があって進むだろう。
個人と個人の関係も、
国や企業や自治体、集団と、個人の関係もそうだろう。
和解があって、魂が自由になり、ほんとうの協調関係が生まれてくる。