④ ストリートミュージシャン・辻音楽師

 「辻音楽師」、現代は「ストリートミュージシャン」、そのイメージがすっかり変わった。
 まずはマドリードの王宮の前庭、人通りは少ない。かすかにアコーデオンの音色が聞こえた。まぎれもないアコーデオン、音色を聞き間違えることはない。音に誘われ木々の間を行くと、泉水があった。音はそのあたりから聞こえる。池のほとり、アコーデオンを弾いていたのは中年の男性だった。いい調べだなと、近くのベンチに座って池の面を眺め、聞くともなく聞いていた。すぐ前の地面でクロウタドリが、アコーデオンと共演するように歌っていた。アコーデオン弾きの前に置かれた帽子には、いくつかのコインが入っていた。
 次の出会い、トレドという中世の古い街へ行った。16世紀がそのまま保存されているような街、ドイツのローテンブルグに似ている。丘の上に石造りの家々が建ち並び、石畳の小道が迷路のように続いている。大きなカテドラルの前に出たとき、チェロの曲が耳に入った。「チェロ弾きのゴーシュ」を目で探すと、店を背にして、椅子に腰をかけたあごひげの男性がチェロを奏でている。魅力的な演奏に惹きつけられた。 
 「この人、かなり優れた演奏家かもしれないよ。」
 あまりにもきれいな音色だ。チェロの前に箱が置かれ、二種類のCDが並んでいる。クラシックとポピュラーの二種。もうぼくらはCDを買うことを決めていた。洋子が、どちらがいいか彼に問うと、彼は笑顔で、こっちがおすすめですというようなことをスペイン語で言った。それは、ポピュラーな方で、値段は10ユーロだった。
 チェロ弾きはうれしそうな笑顔でお礼を言った。日本に帰ってから聴いたCDはすばらしかった。Chiki Serrano 彼は何者? ユーチューブを検索したら路上演奏とコンサートでの演奏が出ていて、やっぱりいい。
バルセロナでもいろんな街の演奏家に出会った。いちばん賑やかな市場へ行った。魚屋、果物屋、八百屋、肉屋、チーズの店など、食糧と飲食の小売店がひしめいている。狭い通りに人があふれ、飲み屋の止まり木ではずらり並んでビールを飲んでいる。そこへアコーデオン弾きのおっちゃんが入ってきて、演奏しながら回り始めた。ぼくら二人は飲食店の外に出したテーブルに座って食べていると、アコーデオン弾きは店の中まで入ってきて、イタリア民謡を弾くと紙カップを突きだす。つづいて新たな三人組の演奏家が入ってきた。アコーデオンとクラリネットとドラムという、へんてこりんな取り合わせだ。
 地下鉄網は便利だった。いくつもの路線が網のように走り、ターミナル駅には異なる号線に乗り換えるための乗り継ぎ用の地下通路がある。そこで出会ったのは、五十歳ぐらいに見える女性の演奏家だった。何もない通路はそんなに幅が広くない。そこに箱型のスピーカーを置き、椅子に座ったおばさんは電子オルガンを演奏していた。曲は鳴り響き、長い通路の隅までとどいていた。別のターミナル駅の地下通路では、若い人が一人、ギターを弾いていた。
 宿はサン・パウ病院のすぐ近くにある。夕方、宿に帰ろうと乗った地下鉄の車両はすいていて、乗客はほとんど座っていた。途中の駅に停車したしたとき、男性がひとり荷物を持って入ってきて、ドアの横に荷物を置いた。電車が動き出すと、男の荷物からピアノの調べが流れ、男はマイクをもって歌いだした。スペイン民謡のようであった。男は中年ぐらいのがっしりした体格だ。朗々と歌う男の声は車内の人びとの耳にインパクトを与える。次の駅まで一曲歌い終えると男は、乗客の前を紙コップをもって回った。二人の男がポケットをまさぐってコインを入れた。 
 世界遺産カタルーニャ音楽堂を見学し、その芸術性にひたっていたとき、どこからか女性の歌うオペラ曲が聞こえてきた。声はどうも音楽堂の外かららしい。高らかに歌うソプラノは並みの声ではない。見学を終えて外に出ると、音楽堂の入り口近く、道に立って歌っているのは、もう老齢に達しているかに見える赤い衣装をつけた小柄な女性だった。音楽堂に入ろうと列を作っている人びとの後尾は、その女性の位置に達していた。伴奏のオーケストラの曲は、足元のスピーカーから流れ出てくる。オペラのアリアを一曲歌い終わった時、どこからか走ってきた男性が、女性の足もとの箱に数枚のコインを入れ、にこやかに挨拶して走り去った。彼女は陽気だ。犬を連れた女性がやってきた。中型犬は歌っている女性に近づくと、「怪しいぞ」と思ったのか、歌手の顔を見て吠えた。歌手が声を発すると、犬がワンと吠える、その光景がおもしろくて、しばらく見ていた。とうとう歌手は笑いだし、犬の飼い主も笑いながら去っていった。洋子がコインをひとつ歌手に手渡すと、歌手は終始にこやかに言葉を発して印刷物をくれた。その印刷物には、かつて舞台で活躍したときの写真が載っていた。
 「この人も有名な人かもしれないな。」
 そうだとしたら、この人たちはなぜ路上の音楽活動をするのだろう。生活のために? プライドはどうなる?
 街に出て、人びとに自分の音楽を聴いてもらって金を稼ぐ人もいるだろう。また自分の音楽を練磨しようとしている人もいるだろう。さらには街の人々に、自分の音楽を届け、街の文化を創ろうと考えて活動している人もいるだろう。コンサートでの活動も、街路での活動も、同じ芸術の表現活動であり、街路の活動は街に音楽の花を咲かせる大道芸だ。そしてすべての庶民に触れ合うのだ。芸術に特権階級はない。
 それとともに、それを受け入れる市民の懐の深さを思う。こんなところへ入ってくるな、迷惑だ、排除しなければならない、という考えや思いがない。理解と寛容さなのだ。
日曜日、バルセロナのカテドラルでミサが行なわれていた。その建物の前の広場で、お昼頃に踊りの輪ができた。カタルーニャ地方の踊り、サルダーナ
 ブラスバンドが演奏を始めると、集まってきていた人たちが、するすると動きだし持ち物のカバンなどを一つ所に置いて手をつなぐ。手をつないで上に掲げ、ステップを軽やかに踏む。サルダーナは、カタルーニャ人の踊りであり、民族の結集を確かめあうものだという。1936年、フランコ将軍のクーデターはナチスドイツの応援を受けて共和国を打倒した。カタルーニャの人びとはフランコ独裁政権の弾圧のもとにあっても、カタルーニャ民族の踊り、サルダーナを踊りつづけた。抑圧や侵略に耐え、民族の誇りを胸に踊りつづけ、連帯を深めた。
 カテドラルの広場には、踊りの輪が六つできていた。