笠原小学校の実践


    笠原小学校の実践



「教育」というのは、「教」と「育」の二本柱なのに、
「教」ばかりを肥大させてきたのではないだろうか。
「教」の肥大は点数主義。
「育」を重視してきたならば、
人間性や人格をはぐくむほうへもっと向かっただろうに。


埼玉県宮代町笠原小学校。
こんなにも子どもはのびのびと遊びまわり、
遊びまわる場が子どもの心理と生理にもとづいてつくられ、
子どもの暮らしが息づいている。
子どもの子どもらしさ、
それが押しつぶされないで引き出されている、
子どもの心でつくった学校。
教室はそれぞれ独立した一戸建ての瓦屋根、他とつながって一体となり、
廊下にも教室にも子どもの入る小スペースの小屋がつくられ、
そこに入って子どもたちが遊び、
おしゃべりしている。
壁のない廊下を介して教室は直に運動場につながり、子どもははだしで遊ぶ。
遊びのなかで子どもは友情をはぐくみ、他者とつながっていく力を芽吹かせる。
庭に木々が茂り、芝生が広がり、池があり小山があり、
季節の花が咲く。
町のメーンストリートは真っすぐ学校に入り込み、
地域に開かれた門がいくつもある。
残念なことに、この時勢、文部科学省の指示で、開けられる門は一つに絞られた。
空教室は「ひだまりサロン」になり、
地域の人々がやってきて囲碁や将棋をやっている。
そこに子どもたちもやってきて、隣で将棋をしている。
障害者もやってきて活動をしている。
サロンは、お年寄り、障害者、子どもの新たな交流の場となっている。


1979年、こういう学校をつくろうとした宮代町の見識、
それを受けて理想とするところを設計に顕した建築家、町山一郎氏の本質を観る眼。


学校とはこういうもの、
教室とはこういうもの、
校舎、廊下、運動場、校庭はこういうもの、‥‥
すべてこういうものという固定観念、きめつけ、枠にしばられてきた学校からは、
しばられることを拒否する子どもが逃亡する。
徹底的に子どものまなざしに立って構想することの意味をこの学校は伝えている。
学校は地域コミュニティの核であり、
子育ては地域の人々でやっていくという理念を建築家の町山氏は顕した。
際限なく分断されていく日本社会の子どもたちと親たち、大人たちに、
まずはつながりの拠点をつくらねばならない。
そして、学校に子どもの群れと群れ遊びをとりもどさねばならない。


学校行事に将棋大会があったらおもしろいじゃないか。
子どものチャンピオンとお年寄りが勝負することがあったら愉快じゃないか。


   (NHK 2月21日 福祉ネットワーク 「"こころ"の育成の最前線に立つクリエーターたちを観て」)