茨木のり子


        茨木のり子


那須高原に「SYOZO」というカフェがあり、
おいしい珈琲をたててくれました。
観光ルートのどこにでもある派手な看板がこの店にはなく、
雑木林のなかに質素に目立たずたっていて、
前を通り過ぎても気づかない、
店を発見する糸口は、道路際に立てられた小さな木の札だけでした。
扉のガラスに書かれた「NASU SYOZO CAFE」の文字を見て、
なかに入ると珈琲の香りがただよっています。
お客さんの座っている椅子やテーブルは、全部異なっており、
そこらで拾ってきたような、使い古されたものばかり、
ちぐはぐな、安物くさい、けれど生活の匂いを保ち持つ、
木製のそれらは、かえって店の雰囲気をゆったりくつろがせていました。
窓から林を眺めながら、静かに時を過ごす人が絶えません。
ある日、店の本棚に、「食卓に珈琲の匂い流れ」の文字を見つけ、
手にとると、茨木のり子の詩集でした。



  食卓に珈琲の匂い流れ
 
  ふとつぶやいたひとりごと
  あら
  映画の台詞だったかしら
  なにかの一行だったかしら
  それとも私のからだの奥底から立ちのぼった溜息でしたか
  豆から挽きたてのキリマンジャロ
  今さらながらにふりかえる
  米も煙草も配給の
  住まいは農家の納屋の二階 下では鶏がさわいでいた
  さながら難民のようだった新婚時代
  インスタントのカフェを飲んだのはいつだったか
  みんな貧しくて
  それなのに
  シンポジウムだサークルだと沸きたっていた
  やっと珈琲らしい珈琲がのめる時代
  一滴一滴したたり落ちる液体の香り

 
  静かな
  日曜日の朝
  食卓に珈琲の匂い流れ‥‥
  とつぶやいてみたい人々は
  世界中で
  さらにさらに増えつづける

 

それからこの詩集を本屋で買ってきました。


今日の新聞が、茨木のり子の訃報を伝えています。
亡くなっていたのが発見された、孤独死、79歳。
新聞の別の紙面に、作家、澤地久枝さんの文章が載っていました。
長野県上田市、戦没画学生慰霊『無言館』での成人式に出席して、
成人にメッセージを送ったときのことを書いています。
澤地さんは75歳。
「このひどく乱れた世の中を若い世代に引きつぐすまなさが私にはあった。
もっと健康で、努力すればまともに答のある平和な社会を新しい世代に引きつぎたい。
そのために七十余年生きてきたともいえる人間にとって、
無言館』に祈念される死者たちに対しても同様に私にはうしろめたい思いがあり、
『ごめんなさいね』と言いたかった。」


茨木のり子澤地久枝さんも、戦後日本を同世代として生きてきました。
豊かで美しい、平和な国になったのでしょうか、日本。