対話
対話というのは、言葉のキャッチボール。
対話は、相手と向かい合い時間を共有するから、
二人の間に通いあうものがある。
人は生まれてから対話をしながら育ってきた。
親と対話し、
兄弟と対話し、
イヌと対話、ネコと対話、
虫と対話、花と対話。
孤独なとき、自分と対話した。
その小学校は、命の大切さを教えるためにウサギを飼っていた。
子どもたちは、ウサギの世話をしながらウサギと対話をした。
餌をやって対話。
部屋を掃除して対話。
世話をして相手を知る。
世話をし、世話をしてもらって、愛情が湧く。
命と命がドッキングする。
役に立っていることを自覚し、自分の存在に気づく。
自分の価値に気づく。
世話をする、世話をされる対話。
対話は相手の心を聞く。
小学生の飼っていたウサギをボールにサッカーをして、
殺してしまった18歳の3人がいた。
彼らはどんな対話をしてきたのだろう。
反社会性人格障害と診断された奈良のあの男は、
幼児期からの父親の虐待と、
幼稚園・学校でのいじめが人格に影響を与えたのではないかという。
対話のない孤独な育ち。
かつて絶望の深さから、
「太陽もほろべ」と詩によんだ人がいた。
すべて滅べ、そして自分も滅ぶべきなりとよんだ絶望は、
差別から来ていた。
差別は人と人の間に壁を作る。
差別の絶望から言葉が発せられた。
その言葉から対話が生まれた。
対話が希望の温床となった。