聴く耳をもたぬ人


         聴く耳をもたぬ人


ガンジーの会」のホームページに、
イラクで亡くなった人たちを追悼するキャンドルルームがありました。
日本人、イラク人、アメリカ人、韓国人、‥‥
そのなかに幸田証生さんの名前がありました。
ロウソクが灯っていました。


若者は、冒険したいと思いました。
だから一人で海を越えていきました。


若者は冒険したい。
何かを得るためでもなく、
偉い人になるためでもなく、
有名になるためでもなく、
ただ未知の世界に分け入ることをやりたくて冒険に出ました。


本当のことを知ると、
生き方が変わるものです。
三人の日本の若者たちは、
イラクの子どもや民衆の、瀬戸際から発する絶望と怒り、
祈りと希望をつぶさに見ました。
だから再び海を渡りました。
そして人質になりました。
人質は無事日本に帰ってきました。


幸田さんは、ただ自分の眼で見たかった。
イラクが危険なところであることは分かっていた。
ただ現実を見たかった、そこがどんなところか知りたかった。


けれども現実は、香田さんの想像力を超えていました。
冒険というのはいつもそういうもの。
危険を想像できなかったことで、どうしてそれを非難できましょう。
軽率な行為だとか、
自己責任だとか、
殺されても仕方がないとか、
日本の「大義」を妨げる行為だとか。


首相はアラブの人たちの思考や感情を理解していませんでした。
分かろうともしませんでした。
だから、聴く耳を持たず、「検討する」の一言もなく、
即刻、相手の要求を拒否しました。
幸田さんの命を守ることよりも自らの「大義」を優先させました。


幸田さん、生きていたなら‥‥。
このような人こそ未来を拓く原石。
原石が見殺しにされていきました。


見殺しにしたものたち、
今も聴く耳を持たず、
かたくなに拒み続ける。


「中国・韓国の反対や、日本の中の反対意見、それを私は理解できない。これは心の問題。」
アラブ・イスラムについて、中韓・アジアについて、
日本について、
他者の心情を知らず、感じ取ろうとせず。