サッカー国際親善試合は対イラク


 日本とイラクのサッカー試合をちらちらとテレビで観た。国際親善試合だった。あのイラクが試合に出ている。そういうことができるんだろうかと、不思議に思う。
 なぜなら今も、イラク国内は戦場だ。ISと戦闘が続いていて、イラク国内でISの支配が広がっている。政府軍や義勇軍に若者たちが参加して戦っている最中に、こうして日本の競技場を走り回れるという現実、イラクと日本の大きな差異がサッカー競技場の選手たちの足下に横たわっている。
 観客席は、日本のサポーターで埋め尽くされている。「ニッポン、ニッポン」というシュプレヒコールが競技場にとどろき渡る。青いユニフォームを着た日本選手が果敢に攻撃する。見事なシュートが決まる。
 4点が入った。イラクは点を入れられない。日本の観客は勝利に酔いはじめている。
 ぼくはイラク選手たちを見ている。彼らはどのような思いを持って闘っているのだろう。後半の動きを見ていて、ぼくは想像する。
 彼らのプレイが変わってきたように思えた。イラク選手は、あきらめない。プレイに芯が入ってきたように見えた。彼らは、勝ち負けの結果よりもなにか別なものに突き動かされてプレイしているように思えてきた。
 祖国イラクではこの瞬間も砲弾が飛び交っている。殺され、焼かれ、家を追われ逃げる人たちがいる。難民キャンプに暮らす人たちがいる。祖国は戦場。
 彼らは日本の平和を目にした。日本のサポーターたちの熱狂を肌で感じた。自分たちのチームのハンディが浮かび上がった。自分たちは、戦乱の祖国のハンディをもって、ここに来た。では、なんのために、自分はここにいる? 葛藤なしではいられないだろう。
 スポーツは、戦争の対極にある。戦争の対極にあるスポーツをするために、自分たちはここに来た。ここにきてプレイする、全力をあげてプレイする。勝つとか負けるとか、そんなことはどうでもよい。
 彼らの胸に去来するのは、平和への希求だろう。平和があってこそスポーツは花開く。
 イラクにはかつて国威発揚の圧力があった。
 40年前、イラクはアジア最強の一角を占めていた。が、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争、1991年の湾岸戦争とその後の国際的経済制裁、つづく2003年のイラク戦争へと、スポーツ環境は著しく悪化した。国の権力者は、成績不振のスポーツ選手に拷問を行い、52人ものスポーツ選手を死に至らしめた。1997年、1次予選でイラクが敗退すると、代表選手たちは軍事施設に連行され、鞭打ちに会った。
 イラク戦争後、2004年の中国アジアカップでベスト8、アテネ五輪で4位、2006年のアジア大会で準優勝と、国際大会で好成績を上げた。アジアカップ2007では初優勝を飾った。この大会でイスラムシーア派の選手とスンニ派の選手、クルド人の選手が共に優勝を喜んだ。その姿は国内外でも大きく注目を集めた。
 平和があってこそスポーツは花開く。
 ほんとうのスポーツは、民族や国の対立を乗り越える。
 この国際親善試合にひそむテーマは平和。しかしm今朝の報道には、イラクチームのことは何ひとつなかった。