魯迅に「非攻」という小説がある

 中国の戦国時代に、「墨子」(紀元前470年ごろ〜紀元前390年ごろ)という思想家がいた。今から2500年も昔の話。
 魯国の墨子は、一視同仁や、非戦・反戦をとなえた。一視同仁は、人を差別せず、すべての人に平等に仁愛をもって接すること。非攻は、非戦・反戦
 魯迅はこの墨子を主人公にして「非攻」という小説を書いた。短い小説だが、魯迅の思いがよく現れている。
 概略こういう話。
 墨子と同じ魯国の公輸般という人物が楚王をそそのかし、小国の宋を攻めさせようとしていた。楚と宋が戦争をすれば宋に勝ち目はない。墨子は楚王に戦争をやめさせようと、蒸したトウモロコシのマントウを食糧に持って、てくてく一人で出かけていった。ワラジの紐が切れ、底に穴が開いた。足にあかぎれが切れ、豆もできた。けれど、墨子は歩みを止めず、どんどん歩いて宋の都城に入った。途中に店があったのでのぞくと、ろくなものがなかった。道には黄塵が積もり、肥沃な田はひとつもなかった。楚国が攻めてくるという噂は、人びとはたぶん耳にしているだろうが、みんな攻められるのに慣れてしまって、当然のように思っている感じだった。着るものも食うものもないから、避難しようと思う者もいない。南門の城楼の見える所にくると、一人の男が演説していた。
 「われわれはやつらに、宋国の民気を見せてやるのだ。われわれはみんな死ぬのだ。」
 その男は墨子のところの学生だった。
 墨子は農家の軒下で夜を明かし、どんどん歩いて宋を通り抜け、楚国に入った。楚国は繁栄していた。家並みは整い、商店には上等の品が並んでいた。広場には露店が並び、人でにぎわっていた。墨子は、戦を扇動している公輸般をさがした。人に聞いてその家に来ると、「魯国公輸般寓」の表札がかかっていた。門番に公輸般に会いに来たと言うと門番は一度追い払ったが、どうしても会いたいと粘るから、「色の黒い乞食のような男がきている」と公輸般に告げた。すると公輸般は、その男は墨子だと察知し、墨子を招き入れた。面会がかなった墨子は公輸般に問うた。
 「なぜ宋国を攻めるのですか。楚国に余っているのは土地です。足りないものは人民です。足りないものを殺して、余っているものを奪うのは、智とは言えない。宋国に罪がないのに攻めるのは仁ではない。あなたは、王の過ちを知っていて、これをいさめないのは忠ではありません。いさめてもそうならないのなら、それは本当に強いということではありません。」
 公輸般は言った。
 「言われることはもっともです。でもすでに王に説いてしまいました。」
 墨子が言う。
 「じゃ、私を王に会わせてください。」
 公輸般は承諾して墨子を王のもとに案内した。王は、墨子が北方の賢者であることを知っていたので、すぐに会うことを承諾した。楚王の前に立った墨子は、ゆうゆうと説きだした。
 「ここに一人の人がいます。馬車を持っているのに、隣家のボロ車を盗もうとします。美しい錦繍があるのに隣家の粗末な衣服を盗もうとします。米や肉があるのに、隣家の糠の飯を盗もうとします。これはいかなる人でしょうか。」
 王は答える。
 「それは盗癖のある人に違いない。」
 墨子は言った。
 「楚の地は、五千里四方あります。宋は方五百里しかありません。これは馬車とぼろ車のようなものではありませんか。楚には、雲夢沢(うんぼうたく)に、サイやシカがいっぱいおり、川には魚や貝が比類ないほどとれます。ところが宋は、ウサギ一匹、フナ一匹いないところです。これは米や肉と、糠の飯の違いのようなものではありませんか。楚には松や楠がありますが、宋には大木はありません。これは錦繍と粗末な衣服のようなものではありませんか。宋を攻めるのはこれと同じではないですか。」
 王はうなずいて言った。
 「そのとおりだ。じゃが、公輸般はわしのために攻撃の道具をつくってくれている。攻めないわけにはいかない。」
 そこで墨子は木片を使った戦闘のゲームを公輸般を相手に、王の前で繰り広げて見せた。そのゲームを王はよく理解できなかったが、結果は墨子の勝利になった。それでも公輸般は墨子に勝つ術を知っていると言う。墨子は、その術というのは、自分を殺すことであると指摘する。墨子を殺せば、宋を攻めることができるからだ。そこで墨子が言う。
 「すでに私の学生三百人が、防御の機械をたずさえて、宋城において楚国の軍を待ち受けている。たとえ、私を殺しても、攻め滅ぼすことはできない。」
 それを聞いた楚王は言った。
 「宋を攻めることは思いとどまろう。」

 中国文学者の竹内好魯迅全集を訳出した。彼はこう書いている。
 「(この作品は)戦闘的非戦論を共感をこめて打ち出した作品である。諸子百家中、魯迅墨子を最も尊敬した。満州事変以来、国難が叫ばれ、抵抗についてさまざまな論議がなされていた時代風潮がこのような墨子像をえがかせたのだろう。」
 墨子のような行為のできる人がいたら、墨子のような体当たりでいさめる臣下がいたら、 中国侵略を停止できていた。さすればその後の歴史はどうなっていたことだろう。太平洋戦争も起こらず、核兵器の使用も起こらなかった。