この地を世界遺産に


        この地を世界遺産


ぼくの住んでいるところにも、土地の古い文化を守ろうという会がある。
その会の機関紙は郷土史家が編集している。
二回、その会誌に記事を載せてもらった。
記事のひとつは、「この地を世界遺産に」という大風呂敷。
目的、目標を持てば見方が変わる、認識が変わる、意識が変わる。
意識が変われば行動が変わる、生き方が変わる。
世界遺産にしようと思えば、それにふさわしい環境にしなければならない。
よきもの、美しきものを守らねばならない。
世界遺産に登録されることになろうとなるまいと、
環境を守ろうとする意識が住民に動き出せば、それが世界遺産
もともと地球のすべてが世界遺産であったはずだ。


1760年代に始まるイギリスの産業革命は、環境を破壊し、
国土は惨憺たる状態になつた。
森の木々は切られ、都会は煤煙で真っ黒になった。
今もその時代の黒い煤煙の跡が都会に残っている。
物質的、経済的繁栄の裏側は、搾取と破壊だった。


その頃、日本は鎖国していたが、草や木を大切に活かし、糞尿も田畑に活かし、
あらゆるものをリサイクルしながら美しい山や川、澄んだ海を守って、
世界でもまれにみる循環型社会を創っていた。
文化もまた独特のものを育んだ。


1895年、ナショナル・トラスト運動が、イギリスの有志によって始められた。
かけがえのない自然環境や失えば二度と取り戻すことができない歴史的建造物を保存し、
広く公開して次代に引き継いで行く環境保護市民運動
寄付金や募金により買い取ったり、寄贈や遺贈により取得し、
これらを保全、維持、管理、公開することで、次世代に残していくことを目的とした。
現在、会員264万人の巨大な非政府組織(NGO)となっている。
管理している物件は、25万ヘクタールの土地、約963kmの海岸線、4001に及ぶ歴史的建造物や庭園。
ナショナル・トラストは、「1人の1万ポンドより、1万人の1ポンド(200円)ずつ」をモットーにした。


その頃、日本は明治になり、富国強兵、近代化にまい進、
日本のよき伝統は破壊され、足尾銅山鉱毒事件にはじまる公害と自然破壊、女工哀史に象徴される過酷な搾取がくりひろげられた。


ナショナル・トラスト運動は、世界30数力国に広がっている。
1964年の鎌倉風致保が日本の第1号。
北海道知床斜里町「知床100平方メートル運動」もさきがけ。
開発の嵐から知床の自然環境を保全するため、知床国立公園に残った民有地を全国からの寄付金で買取り保全しようとした。
紀伊半島田辺湾の北側にある天神崎の保存もそうだった。
海岸自然林の動植物と海の動植物が、平たい岩礁をはさんで同居し、
森、磯、海の三者が一体となって、美しい生態系を形作っている。
1974年、天神崎の開発計画を知った市民有志が土地の買い戻す運動を始め、
未来の子どもたちに引き継ごうとしている。
日本のナショナル・トラスト運動は全国50カ所を越え、
その保全面積は計約5800ヘクタール余りにひろがっている。


世界遺産の歴史は、このような歴史が下地にあって始まった。
ユネスコ世界遺産条約を採択したのは1972年。
世界的な地球環境に対する危機感が、文化財の保護と自然環境の保護との融合をめざす条約を生んだ。
日本が批准したのは、20年後の1992年。
日本の世界遺産は11、中国は29、インドは24。
ヨーロッパでは、イタリア、スペインが36、イギリスは26。


イギリスの学校の子どもたちは、校外学習で遺跡や博物館にやってきて生き生きと学習している。
スタッフはボランティアがやっている。
たくさんのウサギが野で遊び、リスが木々で戯れる。
街の中の川にも鴨などの水鳥が泳ぎ回っている。


子どもたちの、郷土への愛が育まれるのは、
環境を守るこのような大人たちの生き方にある。
イギリスには、街の人びとが農繁期に村にやってきて好きなだけ農作業を手伝い楽しむ制度がある。有償のボランティアだ。
世界遺産ナショナル・トラスト運動の地で草刈や修理などのボランティアをする人もいる。


「この地を世界遺産に」、
そこを世界遺産にしようとする人がいて、そこが世界遺産になっていく。