阪神大震災とダックス先生

 
        阪神大震災とダックス先生



ダックス先生は、その朝早く、学級通信にのせる子どもの作文をワープロに入力していた。
印刷にとりかかろうとしたとき、大地震が襲いかかった。
家屋はさいわい倒壊をまぬかれ、家族の命も助かった。
しかし、周辺の家々は壊滅的な被害を受け、翌日火災が発生、ダックス先生の家も危なくなった。
ダックス先生がまっさきに持って逃げようとしたのは、児童の作文、写真、学級通信、ワープロ


ダックス先生の学校は神戸市立湊小学校、とりわけ広い校区を抱えている。
先生たちは、子どもたちの安否の確認にとりかかった。彼らはどこにいるか。
崩壊した家やビルの残骸を越えて、子どもたちを訪ねて回る。
子どもたちは無事だった。


学校は避難場となった。
ダックス先生は学級通信に手紙を書いて、子どもたちに送ることにした。
ダックス先生は、先生と子どもと親のコミュニケーションを深め、
人間・社会・自然を見つめる眼を培い、
表現力を育て、豊かな感性を養うために、
学級通信と子どもたちの「あのねちょう」を実践の重要な柱にしていた。
ダックス先生の学級通信の郵送料を郵便局は無料扱いにしてくれた。


子どもたちは、避難場所で暮らし、壊れかけた家に住み、疎開している子どももいる。
驚いたことに、そのような状況の中でも、子どもたちは、「あのねちょう」を書きつづけていた。
「せんせい、あのね‥‥」と語りかけることから始まったノート。
ダックス先生は感動する。
先生は、「あのねちょう」を集め、その作品を学級通信に載せて、再び子どもたちに郵送する。
子どもたちから返事が来る。文通が始まる。
「あのねちょう」と学級通信は、こうして子どもたちをつないでいった。
子どもたちは勇気を与えられた。
クラスで結ばれたきづなは、災害の中でも断たれることはなく、いっそう結び目を強くした。


  実に悲劇的なことだけど、絶望的になることはない。
  教育の世界では、教師と子どもと親の熱意さえあれば、
  解体してしまった学級のきづなを維持することができる。
  廃墟からの再興は、子どもの天真爛漫な笑いがきっかけになるやもしれない。
  子どもというのは、どんな境遇になっても、
  明るさと希望を失わないで生きることができる。
  子どもへの教師の対応が、大きな意味を持っている。


「ダックス先生 最後の授業  阪神大震災をくぐりぬけて」(マガジンハウス)
にダックス先生が書いている。
先生の名前は鹿島和夫。灰谷健次郎の友人。


学級通信と生活ノート、ぼくもこの二つをかつて実践の柱に据えていた。
学級通信は手書きでつくった。
日常の生活の中では表面に出てこない子どもたちの心を生活ノートに表現させ、
生活ノートから拾い上げた意見や感想、つぶやきを、クラスの中へ投げ込んでいく、
ぼくも遠慮なく意見を書く。その手段が学級通信だった。
友のホンネ、先生の考えを、ぶつけあう、その対話の中から、気づかなかったこと、足りなかった考え、他者の心を発見していく。
印刷したばかりの文集のような学級通信を、
六時間目の授業が終わって学級活動になったときに配る。
しんとして読みふける子どもたちの姿が、今も記憶によみがえる。