子どもの見方

       認知症のケア、学校での指導


         
 これは、すごいと思った。認知症のケア施設の実践なんだ。
 要するに施設の職員とは別の第三者がやってきて、入居している認知症の人たちを観察し、その状態を分析するんだ。
 第三者というのは、認知症ケア・マッピングというのを仕事にする有資格者で、マッパーと言うらしい。
 一日六時間、困難な人を観察し、その状態を五分おきに評価していくと、施設の介護員の気づかなかったこと、思いがけないことが判明する。


 食事前になると、きまって不機嫌になる角田さんという人がいた。
 口が次第に「への字」になってきて、周りの人に悪態をつき、よくトラブルを起こす。
 食事はまだか、まだか、と何回も訊くから、「この人は食事に執着の強い人だ」というのが職員の共通認識になっていった。


 ところがマッパーの評価は違った。
 見ていたら、一時間も前から「食事だから食堂に」と言われ、食堂に来たけれどもあまりに待ち時間が長い、だんだん口がひん曲がってきて悪態をつきだす。
 ついに職員のところへ行って、まだかと訊く。職員は、もうすぐだと言って、適当になだめて、待たせる。やっと配膳が始まっても、そこでまた長々と待たされる。
 角田さんの不機嫌は、そのなかに原因があるようだ。
 一日が終わって、マッパーと職員のミーティングで明らかになってきたのは、こういうことだった。
 長時間角田さんは待っているにもかかわらず、職員は、もうすぐだと、ごまかして待たせている。
 さらに運動量に対して食事量が少ないから、角田さんは空腹なのではないか。


 認知症の人の行動、状態、表情、発言を評価し、点数にしてグラフにすると、見えてくるものがあるんやなあ。
 その人のことが見えてくると、その人に対して行われているケアが適切かどうかも見えてくる。
 結局、見えてきたものは、「角田さんは食事に執着の強い人だ」というとらえかたとはまったく異なるものやった。


 寝具や衣服を破る人がいた。観察していくと、ある時点から表情が変わり、笑顔も出て積極性が現れだした。
 職員から「○○さん、てつだって」と声をかけられ、ごみばこにポリ袋をセッティングする仕事をし始めてから、変化が起こったんや。グラフにするとよく分かる。
 この人は「破壊的な人」だとしていた見方が変化するんや。


 これは教育に通じることやな。
 「この子はワガママだ」「この子は無気力だ」「この子は反抗的だ」‥‥、
 先生は先生の見方でレッテルを貼っている。


 そうかもしれないが、そうでないかもしれない、
 どうなんだろうと調べてみることをしない。
 昔、ぼくのクラスに、無口な子がいて、遅刻王やった。ところが、その子は翌年、発言王になり、遅刻もせんようになった。
 クラスがこの子を変えた。学級集団・仲間は、学びと育ちの大きな生命体だ。


 さらに問題は、否定的レッテルを貼る対象に、貼る人の感情が伴うということだ。
 この子はいやだ。この子は苦手だ。この子はダメだ。
 好悪や不満や怒りの感情に染められた見方が、教師の行動・態度に反映する。そうして指導が行われる。その指導はほとんど効果がないばかりか、子どもをますます損なってしまう。


 学校でマッパーのようなシステムをつくれないかなあ。
 すくなくとも職員同士で、レッテルをはがして、違った見方から見てみようとする、
 遠慮気兼ねのない、なれあいのない、
 ボスに従属、迎合しない、
 研究・究明を目的とした職員会議ができないか、ということだ。


 NHKの教育TV、午後八時からの「福祉ネットワーク」という番組やった。