いたずら


        いたずら


夜中に、「ウォ、ウォ」と小さく吠えて、ぼくらを呼ぶ。
目覚めてトイレに行きたくなり、戸を開けると、
ランも自分のトイレに行って、用を足す。
こちらが用を足しているすきに、ランはすかさずいたずらをする。
ぼくがトイレから戻ってきたら、
ティッシュペーパーの箱をくわえて走り回り、
部屋中にティッシュをまきちらしていた。
真夜中なんだぞ、おまえは又そんなことをして。
叱られると、部屋を一回り走ってから、平伏して見上げる。
大人になっても遊びをするのは、ヒトとイヌだけという。
ランには、いたずらの観念も意識もない、単なる遊び。
人間に都合の悪い遊びは、いたずらになり、
これはいたずらだと規定するのは、人間。


いたずらを悪戯と書くが、
人間の子どもは、いたずらが好きで、
いたずらするには相手がおり、
だれかを驚かせたり、困惑させたり、
それでもおもしろくて、いやいや、それがおもしろくて、
いたずらがやめられない。
いたずらには仲間がおり、いたずらを共有する。
やったほうは愉快、
やられたほうは、カンカンになることもあるが、
いたずらへの矛は適度におさめる。
いたずらするほうも、関係を破壊することのない適度さがルールとなる。
漱石『坊ちゃん』の悪がきは、宿直室の先生の、
蚊帳の中へバッタを放りこんだ。
いたずらには、計画性があり、工夫があり、
笑いがあり、ユーモアがあり、
冒険があり、驚きがあり、コミュニケーションがあり、
学びがあり、連帯がある。
相手に打撃を与え、傷つけるいたずら、
度を越したいたずらは、いたずらの範疇を越える。
その手加減を知り、相手の気持ちを察知しようとする、
想像力と思いやりも要る。


チャイムが鳴って、次は3組の授業です。
教室に入ったらみんなきちんと席に着いています。
「では、授業を始めます。起立!」
「先生、次は国語とちがいます。英語の時間ですよ。」
見れば全員英語の教科書を机の上に出しています。
「間違ったか、失礼。」
職員室に戻ってみたら、国語の時間は間違いない。
しまった、やられた。
再び教室に行ったら、みんなの机の上には国語の教科書が載っていました。


先生にいっぱいくわせた彼らの連帯、
授業は爆笑ではじまった。
教師と生徒の関係性が良好になって、生まれてくるひとつの現象。
そのクラスの担任、上野先生は、生徒のいたずらを愉快がる、
自分もいたずら大好きな、青年教師だった。


いたずらに学びの大きな力を見出して、
「いたずらの発見」を著したのは、戸塚廉だった。
遊び、いたずらが、人格形成に果たす役割は大きい。
仲間とたっぷり遊んで、いたずらもする子ども時代が、
子どもの発達・成長に欠かせない。