卒業式


       一冊の写真集


今日、一冊の写真集を本棚から出したら、
なつかしい昔の匂いがした。
写真集の名は、「いのち、この美しきもの」(筑摩書房)、
群馬県境小学校の子どもたち」という副題がついている。
モノクロ大判の写真集だ。
斉藤喜博は、昭和39年から44年まで、
境小学校で校長を勤めた。
島小学校につづく境小学校での実践を、
作家・阿部知二は、日本の教育の頂点だと言った。
斉藤喜博は校長だったが、いわゆる管理職ではない。
徹底的に教育を研究し実践した教育者だった。


喜博は、授業と行事に創造力を発揮した。
教師たちの力をあわせ、
授業と行事によって、子どもたちの可能性を引き出そうとした。
合唱、舞踊、体操の授業は白眉だった。
「できない」ことが「できる」ようになっていく授業のなかで、
子どもらが変わっていく。
写真集を埋める子どもたちの、
凛とした美しさよ。
写真集には、卒業式の写真も載っている。
境小学校の卒業式で歌われた合唱は、
九曲もある。
「さくら」「かしの木」「よろこびの歌」
「高く掲げよ」「しゅろの葉の歌」「ハレルヤコーラス
「典型」「一つのこと」、そして「ほたるの光」
六年間の音楽の授業や行事によって、
子どもたちひとりひとりから引き出し、
響かせあい、一瞬にして宇宙に融けていきはしても、
心に残りつづける純なるもの。
歌う子どもたちの顔が美しい。
合唱は、学校の実態を表す。
合唱のできない子どもたちは、何かに束縛されている。
解放されている子どもたちは、歌を歌う。
入場してくる六年生の姿。
子どもたちの心は歩く姿にも現れる。
喜博は、卒業式での子どもについて書いている。


足がのびやかで美しい。
前方をまっすぐにみつめた目は、
ほこるでもなく、いじけるでもなく、
歩くという行為のなかに、
ただひたすらに自分を没頭させ、
自分をつくりだし、
自分を大切にしている姿である。


そして歌う卒業生の姿をくいるようにみつめ、
聞き入る在校生の姿のことを喜博は書く。


ふだん上級生のすばらしい姿に接しつづけ、
感動しながら学びつづけ、
上級生へのあこがれを持ちつづけてきた。
そこには畏敬の思いがあり、
去っていく卒業生への思いがある。


あれから四十年。
写真集の表紙の色はあせたが、
なかの子どもたちの姿はあのときのままだ。
畏敬とあこがれ、
現代の子どもたちの心の中で、
それはどんな形なんだろう。