同速歩行


      同速歩行


リードでつなぎ、
飼い主の左側に付け、
同じ速度で歩く。
前へ出すぎず、後ろに下がりすぎず、
綱を曳かずに飼い主と、いつも合わせて歩いていく。
歩くときは自分の興味関心で動いてはならないよ。
刺激があっても気をとられてはならないよ。
飼い主の気持ちを察知して、
従順に飼い主のお供をするのだぞ。


霜の降りた朝の道、
村を貫く旧街道を南に向かうと、
吉野連山の上に昇った朝日を受けて、
金剛山が西に輝く。
ランは突然、鼻を地面にくっつけ、かぎまわり、
ぼくの指示を全く無視し、
警察犬のように動き出す。
ぼくはしばらく立ち止まり、
なだめて再び歩き出す。
冬枯れの田んぼのなかで、、
登校していく小学生の十人ほどの群れに会った。
次の集落の神社のあたりで引き返し、
もと来た道をランと並んで歩く。
やっぱりランは曳き気味だ。
またもや突然他のイヌを見かけて興奮し、
ぐいぐいそこへ行こうとする。
路上に降りた小鳥を見ても、
狩猟本能が騒ぎ出す。


歩くたんびにぼくは葛藤する。
訓練が度を越して、虐待してはいかんでよ。
思いどおりにさせようと必死にならない、
理にかなう訓練が、楽しさを保障するのだと。
ぼくもランも、歩く楽しさを味うには、
同速歩行ができねばならん。
同速歩行はイヌの自由を奪うことかもしれん。
本能を抑えて、型にはめることかもしれん。
イヌをきつく拘束することかもしれん。
だけど、そのとき、それができなければ、
人とイヌは共に歩めんということよ。
大型犬と散歩に出て、引き倒されて前歯を三本折った人もいた。


一万数千年前から、イヌは一緒に生きてきた人類の友、
牧羊犬や狩猟犬、そりを曳いたり荷車曳いたり、
イヌ本来の性格・特技を活かして、
訓練されて共に暮らせもしてきたが、
日本のイヌの歴史では、
イヌの本能、性格を活かして人と共に暮らすことはあまりできんかった。
番犬としてつながれ、
室内のペットとして飼われ、
そうして結局、
一緒に共に住めんということで、
このごろ捨てられるイヌが、猛烈に増えているということだ。
散歩の途中で三頭の野犬に出会った。
近くの集落の飼い犬が野犬にかみ殺された。
その野犬も、ラブラドールの黒だったとは。
稲が稔りを迎える頃、イノシシが山から田んぼに下りてきて、
無残に稲を食い荒らす。
農家の仕掛けたイノシシのワナに、ラブラドールの野犬がかかった。
前足切断、野犬は死んだ。


共に生きるためには訓練し学習していかねばならん。
盲導犬介助犬は、特にそのストレスが大きかろうが、
人間とイヌの共生には、イヌのやさしさが活かされる。
イヌにはずるさも、なまけも存在しない。
やっかいものと思う気持ちが湧いてくるなら、
それはその人の、共に生きる力の衰えなのだ。
人と人のかかわり方を、イヌは教えてくれている。