朝の登校


       朝の登校


神社に集まり、
顔がそろえば黙って動き出す。
七時三十分の集合時間。

合図らしい合図もなしに、
上級生を先頭に、ぞろぞろ後から動き出す。
十人ほどの小学生。

学校までは二キロほどの、
人も通らぬ村の道。
大正時代は、映画館にカフェ、
銀行も旅館もあったこの村も、
今は床屋に饅頭屋、何でも屋がそれぞれ一軒、
八百屋は無人の販売だ。

学校までは一本道。
みんなに遅れた兄弟が今日も二人で家を出て、
会話もなしに歩いていく。
後ろを見ない兄はすたすた、弟との距離はだんだん開き、
十メートルから百メートル、とうとう兄の姿が消えた。

お寺の前まで来た時に、
別の垣内(かいと)の集団が右の道からやってきて、
ぼくとランの後ろに付いた。
男の子らはランを見て、
イヌの話がはずみだし、
小学校の門まで来たら、
いってらっしゃい、
いってきます、
初めて会った子どもたち、
元気に校門くぐっていった。

過疎化していくこの村の、
小学校は一学年20人、
きれいな校舎、広い敷地、
プールもそろった豪華な施設だ。


世界各地の学校に、
きょうも子どもは集まっている。
昔、ネパールで訪れた山の学校、
電灯はなく、小さな窓二つ、
暗い小さな教室にぎっしり子どもが座っていた。
世界のどこの学校も、
毎日若い魂が集まってくる。
元気な命、はずむ命、
伸びる命が、集まってくる。