あんまり川を汚すなよ


      あんまり川を汚すなよ
 

授業がすんで、嘉助たちは川へ水遊びに行った。
谷川で遊んでいたら、上流で男たちが発破を使って魚をとっている。
発破に撃たれて魚はぷかぷか、水面に浮かんで流れてくる。
子どもたちは抗議した。
「お、おれ先に叫ぶから、
みんなあとから、一二三で叫ぶこだ。いいか。」
一郎の合図で子どもたちは声をそろえて叫び始めた。
「あんまり川を濁すなよ、
いつでも先生言うではないか。」


賢治の『風の又三郎』、
どうして子どもたちは、抗議できたのだろう。
敬愛し、信頼している先生だから、
先生の教えは、男たちへの恐怖感をしのがせる。
村の生活に、きれいな川はなくてはならない。
洗濯、食事、田にも引く。
ホタルも飛ぶし、魚も群れる。
川を汚してはならないと、子どもは既に知っている。
発破は爆弾、一挙に獲物をしとめるが、
川のすべての生き物を殺してしまう。
命の川だ、だから子どもたちは反応した。
すぐさま一つにまとまって、団結して抗議した。
「いつでも先生言うではないか。」
先生の言葉を武器にして、
無法者に立ち向かう。
風の又三郎』は昭和六年(1931)、
賢治の亡くなる二年前。
日本が次第におかしくなりだした時代だった。


中国吉林省松花江下流はロシア領のアムール川
松花江の汚染で、水道水も汚染した。
水が飲めなくなったから、
日本に住んでいる父母のもとにやってきたという小学生に、
昨年暮れからぼくは日本語を教えている。
小学校から要請があって、
いまボランティアで出かけている。
一年生の、豆みたいな女の子。
ハルピンでおじいちゃんと、おばちゃんと暮らしていた。
水道水がだめになり、孫はペットボトルの水しか飲まなくなった。
日本に住んでいる父と母のところへ、お前も行くか。
そうして祖父母は孫を送り出したのだった。
祖父母とともに生きていくつもりだった豆ちゃん、
これから父母と生活するが、
日本がいいか、中国がいいか、
親も子どもも、まだ分からない。