こんなふうに 日は過ぎていく

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  金子光晴の「ある夕暮れに」という詩。

 

   こんなふうに

   日はすぎてゆく。

   ガラス窓を

   はすかいに たどって。

 

   すこし焦げた

   パンのように

   愛情で

   まるくふくれて

   男と

   その女がいる

   が 毎日が

   日曜ではない。

 

   こんなふうに

   日はすぎてゆく。

   大事なものは

   なにもない。

 

 

   大事なものは

   なにもない。

   帽子も

   万年ペンも。

 

   水平線の

   棚のうえに

   忘れている。

   のせたままに。

 

 

 「屁(へ)のような歌」という詩集の中にある詩。金子光晴は、戦時中、召集令状で一人息子を兵隊にとられようとしたとき、息子を松葉でいぶして肺炎にかからせ、徴兵をまぬかれさせたという。無一文でアジア、ヨーロッパを放浪し、人間と世界を見て歩いた。

 大事なものはなにもない、執着するものは何もない、今あるもので、それでいい。

 権力を持つものは、権力にしがみつく。金のあるものは、金にしがみつく。地位のあるものは、地位にしがみつく。名誉を重んじる人は、名誉にしがみつく。

 ヒメシャラの樹が、葉を落としている、はらはらと。

 霜が降りた。まだたくさん、大きな実を付けていたトマトの葉が枯れて、青い大きな実をいくつも残したまま、もうすぐ一生を閉じる。

 夏の渡り鳥は去っていった。冬の渡り鳥がやってきた。

 

   こんなふうに

   日はすぎてゆく。

 

霧の朝

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 今朝は五時半にランと散歩に出た。まだ明けていないが、薄暗がりのなかに夜明けの気配がある。深い霧が出ている。

 霧は、位置によって濃淡がある。道は見えていたが、五十メートル離れたところは見えない。

 歌が湧いてきた。子どものころ何度か聞いて覚え、今もひょいと頭に湧いてくる歌がいくつもある。

 霧の日は、霧の歌が頭に浮かぶ。

 

  霧だ― ほうい ほい

  朝霧だー ほうい ほい

  霧の中から 日が出てくるよー

  だれか どこかで ほうい ほい

  朝霧だ ほうい ほい

 

 途中から北に折れて、一号ベンチのところに来て、木を指で触ると、濡れていたから、座れない。二号ベンチはもう完成しているから防腐剤を塗って、三百メートルほど東の分かれ道のところに設置しよう。それが終われば、三号ベンチづくりだ。

 

 白樺の葉はほとんど落ちた。夏ツバキも桂も黄色くなった。上高地の徳沢園の桂は、とっくに葉を落としただろう。一夜ですべての葉を落とすという話を聞いたことがある。

 歩いていると、どういうわけか、歌「ウイ シャル オーバーカム」が頭にに浮かんできて、声に出た。今では遠い過去ととなった1970年、激しい運動のさなか、若い同僚の男女二人が結婚した。結婚を祝う会を開き、そこでぼくは「ウイ シャル オーバーカム」を独唱し、みんなで繰り返し合唱した。新婦の目に涙があった。

 あの時の仲間たちも、今は孫たちに囲まれていることだろう。

 

 西山の霧が薄くなり、常念岳が見えてきた。うっすら、モルゲンロートだ。爺が岳鹿島槍ヶ岳はすっかり白くなっている。

 

 

 

 

 

 

内村鑑三「後世への最大遺物」

 

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   内村鑑三は、明治27年、日清戦争の起きた年、箱根の芦ノ湖畔で開かれた夏季学校で、「後世への最大遺物」という演説をした。その演説の中に、次のような話があった。

       ☆   ☆   ☆

 

 ‥‥イギリスに、今から200年前、やせこけて病身な一人の学者がおった。

 この人は、世の中の人にも知られず、用のないものと思われて、始終貧乏して、裏店(うらだな)のようなところに住まっていた。かの人は何をする人かと言われるぐらい世の中に知られない人で、何もできないような人であったが、しかし彼は一つの大思想を持っていた。その思想というのは、人間というものは、非常な価値のあるものである、また個人というものは国家よりも大切なものである、こういう大思想をもっていたのであります。

 17世紀の中ごろにおいてはその説は社会にまったく容れられなかった。その時分はヨーロッパでは、主義は国家主義ときまっておった。イタリア、イギリス、フランス、ドイツ、みな国家的精神を養わなければならぬとて、社会はあげて国家という団体に思想を傾けておった時代でした。どのような権力のある人であろうとも、個人は国家よりも大切であるという考えを世の中にいくら発表しても、実行のできないことはわかりきっていた。

 そこでこの学者は、ひそかに裏店に引っ込んで、本を書いた。

 この人はご存じでありましょう。ジョン・ロックであります。

 その本は、「Essay  on  Human  Understanding」であります。この本がフランスに行きまして、ルソーが読んだ。モンテスキューが読んだ。ミラボーが読んだ。

 そうしてその思想がフランス全国に行き渡って、ついにフランス革命が起きた。フランスの2800万人の国民を動かした。それがためにヨーロッパじゅうが動き出して、この19世紀の初めにおいてジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。それからアメリカ合衆国が生まれた。それからハンガリーの改革があった。それからイタリアの独立があった。

 実にジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常なものであります。

 その結果を、日本でお互いが感じている。

 われわれの願いは何であるか。個人の力を増そうというのではないか。われわれはこのことをどこまで実行できるか。‥‥

 ジョン・ロックの思想はわれわれのなかで働いている。

 

 内村鑑三は、明治の時代にこう叫んでいた。

 彼は国家主義の発動としての日本の戦争に反対した。足尾銅山鉱毒と谷中村を滅ぼし遊水地にするという「国家による暴力」に反対した。

 個人は国家に身を捧げよ、この思想は専制国家の武器となり、アジア太平洋戦争を引き起こした。

 今の日本や如何、今の世界や如何。

 

 

 

今朝出会った人

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 夜明け、明るくなってきたころ、ランを連れて外に出た。黒い服を着た女性がひとり、速足で北への道を歩いていく。時々出会う若い?女性だ。歩き方に特徴があり、肘を曲げて外側に振って歩く。

 ぼくは、西へ道を上がって行って、長瀬さんの畑の横に来た。長瀬のおじいちゃんはもう畑に来れない。息子さんが跡を継いでいるが、ぼうぼうと茂る草対策に手が回らず、地ばいトマトもニンジンのタネ獲りもだめになっていた。

 ぼくの計画している「散歩ベンチ」の第一号は、この長瀬さんの畑の際に設置した。長瀬さんの家族は了解してくれた。設置してからもう半月以上になる。今朝はそのベンチに座って、野を眺めていた。膝の故障がベンチづくりの計画になったのだが、毎朝ここに座って景色を眺めると、心がしーんとして透明になってくる。体が内部から落ち着いてくる。

 誰もいない。ベンチに座って、「ならやま(平城山)」の歌を歌った。繰り返し歌うと声が大きくなった。声が遠くまで通るように思えた。ベンチから立って、歩きながらも何度も歌った。奈良の関西線の駅では、昔、列車が着くと、ホームに「平城山」の曲が流れていたのを、思い出す。

  ひとこうは かなしきものと ならやまに

  もとほりきつつ たえがたかりき

  いにしえも つまにこいつつ こえしといふ

  ならやまのみちに なみだおとしぬ‥‥

 久保田の桜から引き返した。

 農道を下ってくると、朝早く見た女性が後ろから追い抜い着いてきた。

 「五時五十分ごろ、お見掛けしましたが、ずっと歩いてこられたんですか。」

質問すると、女性は立ち止まって、水車博物館からぐるっと、一時間歩いてくるとおっしゃった。

 「わたし、体がよくなくて、あまり歩けなかった。けどこうやって歩いていると、体が元気になってきました。家はこの町の下のアパートに住んでいます。夫と二人。」

 言葉になまりがあったから、どこから来られたのかと聞くと、韓国からきたとおっしゃった。

 「じゃあ、この道の上の、ソウルさん、ご存じ?」

 「はい、知っています。」

 ソウルさんは、韓国料理の民宿をやっている。旦那は日本人、奥さんは韓国人。

 「どんどん、歩きましょうね。私も膝が痛いけれど、歩いています。今、手作りベンチをつくって、この道のあちこちに置いています。足の痛い人が座れるように。今朝は、そこに座って歌を歌ってきました。」

 そう言うと、彼女は、ワハハハハと、愉快そうに笑った。

 

精神病医療政策の遅れ

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 今朝の新聞。次のような記事が社会面トップにあった。

 <約40年間、精神科病院に入院していた統合失調症の男性が、国に賠償を求めて提訴した。

 

 原告は16歳で入院し、40年間精神病院から出られなかったために地域で自由に暮らす権利を奪われた。

 日本では精神病は隔離されて当然という偏見と差別意識が根強い。

 2014年時点での平均在院日数の国別比較をすると、イタリアは13.9日。イギリスは42.3日。日本はなんと285日。欧米諸国は、精神病患者は地域でみんなと共同の生活を営みながら、診療所に定期的に通い、生活を楽しんでいる。

 だが日本政府は、患者が地域で暮らせるように体制をつくることを怠ってきた。2017年時点では、入院患者約27万8千人のうち約17万1千人が1年以上、9万1千人が5年以上入院していた。

 日本は、1968年にWHOから改善を勧告されていた。それなのに、実効性のある措置をとってこなかった。原告は人生の大半を病院で暮らし、結婚する機会も自由な時間も失った。>

 これが訴えの主旨である。

 

 1990年に、医学者の石川信義氏が「心病める人たち ~開かれた精神医療へ~」という本を出している。(岩波新書

 そこに書かれていたことは、瞠目すべき事実だった。

 当時、精神病院は1600余。大半が私立。入院者は35万人。その半数以上が5年以上も入院している。その人たちは外へ出て生活できない。イギリスの場合は、5年以上の在院は2パーセントだったが、日本では50パーセント以上だ。

 35万人のうち20万人は、入院が長くなりすぎて、社会に戻りにくくなっている。病気が重くてそうなっているのではなく、医療体制がそうさせてしまっていた。患者は犠牲者だった。

 石川は欧米を視察した。欧米はどうなっているか。

 イタリア、精神病院の廃絶に向かって法改正をしていた。

 イギリス、精神病院の病床を縮小し、病者をまちへ戻していた。

 フランス、アメリカ、北欧も同じような動きだった。

 石川はこう書いていた。

 「福祉とは、弱者も一般の人とまじって人間らしい営みができるようにする政策のことだろう。地域ケアの体制が整えられれば、35万人うち少なくとも20万人は外で暮らせるようになる。」

 

今朝の新聞で、原告の伊藤さんが述べていたこと。

 「私の転機は東日本大震災です。避難先の茨城県の病院の医師から、グループホームに行かないかと聞かれ、最後のチャンスだと思った。61歳で退院し、地域で8年間生活し、今夏アパートに引っ越した。自分で選んだ場所で暮らせ、どこに行くのも自由、夢のようだ。」

 伊藤さん、通院しながら、絵を描き地域で交流しながら生きている。

 「今が青春です。」

 

 

人間はいつまでも変わらないのか

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                    クモさん、うまいもんだね

 

 アメリカの森林火災が、とてつもなく広がり、東京都の何倍もの面積が焼けている。

ニュースが伝えているのは、この山火事の原因が放火だというデマが広がり、自警団が組織され、銃を持ち、現場を取材に来た新聞記者が銃口を向けられて、退去したという。ニュースは、その映像を伝えていた。

 こういう危機的な状況になると、恐怖におびえ、デマが飛ぶことがある。人々の心の中にある差別意識や偏見に恐怖感が結びつき、異端者と思うと攻撃し排斥する。

 アメリカのニュースを見て、日本の関東大震災のときの殺戮を思い出した。あれと同じではないか。

 関東大震災のとき、朝鮮人や中国人が井戸に毒を投げ込んでいるとかのデマが飛び、自警団がつくられて、道を行く人をつかまえて、ひとつの文言をしゃべらせる。その言葉になまりがあると、「こいつは日本人と違う」と断定して、切り殺したり撲殺したりした。たくさんの朝鮮人と中国人、さらには沖縄人も殺された。東北人も危なかったとか。

 ヒロシマでも、原爆投下後のある町で、不穏なデマが飛んだという記録を読んだこともある。

 関東大震災から百年近く経つ。アメリカでデマが飛ぶ。

 アメリカという国はデモクラシーと科学的知見の先進国だとみなされてきたが、危機的な状況や分裂が激しくなって、国内に不安要素が強まると、人間の心に巣くうクセモノが危機をはらむ。黒人差別や偏見を持つもの、それを煽るものが、防衛本能を高揚させて、迫害者になり、武器を使う。

 

 日本も危ない。危険なフェイクが飛び交っとるぞ。

 

 

 

 

 

信州の方言

 

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 朝、桜の木の手前で、カイトを連れた望月さんに出会った。

「昨日は、よく降ったねえ。」

「よく降りましたねえ。」

「散歩、行きましたあ?」

「いや、昨日は散歩に出ませんでした。ランは雨の時は家の近くでトイレさせました。」

 そこから家での犬トイレの話になった。ランは、夜中にトイレしたいときは、家の中に設置したラン用のトイレで,うんち、おしっこをする。

「カイトは、家の中でまったことないでね。ぜったい外でまってる。」

 「まってる」、初めてこの地で聞いた言葉だ。

 こういう言葉が残っているんだ。

「それ、オシッコやウンチをすることですか。」

「そうそう」

「『まってる』というのは『まる』ということですか?」

「そう」

 思い出した。「まる」は確か古語にあった。大小便をするという語。「放る」と書く。小便は「ゆまり」だった。古事記日本書紀に出てくる。

 信州の方言に、こんな言葉が残っていた。