夜明け、明るくなってきたころ、ランを連れて外に出た。黒い服を着た女性がひとり、速足で北への道を歩いていく。時々出会う若い?女性だ。歩き方に特徴があり、肘を曲げて外側に振って歩く。
ぼくは、西へ道を上がって行って、長瀬さんの畑の横に来た。長瀬のおじいちゃんはもう畑に来れない。息子さんが跡を継いでいるが、ぼうぼうと茂る草対策に手が回らず、地ばいトマトもニンジンのタネ獲りもだめになっていた。
ぼくの計画している「散歩ベンチ」の第一号は、この長瀬さんの畑の際に設置した。長瀬さんの家族は了解してくれた。設置してからもう半月以上になる。今朝はそのベンチに座って、野を眺めていた。膝の故障がベンチづくりの計画になったのだが、毎朝ここに座って景色を眺めると、心がしーんとして透明になってくる。体が内部から落ち着いてくる。
誰もいない。ベンチに座って、「ならやま(平城山)」の歌を歌った。繰り返し歌うと声が大きくなった。声が遠くまで通るように思えた。ベンチから立って、歩きながらも何度も歌った。奈良の関西線の駅では、昔、列車が着くと、ホームに「平城山」の曲が流れていたのを、思い出す。
ひとこうは かなしきものと ならやまに
もとほりきつつ たえがたかりき
いにしえも つまにこいつつ こえしといふ
ならやまのみちに なみだおとしぬ‥‥
久保田の桜から引き返した。
農道を下ってくると、朝早く見た女性が後ろから追い抜い着いてきた。
「五時五十分ごろ、お見掛けしましたが、ずっと歩いてこられたんですか。」
質問すると、女性は立ち止まって、水車博物館からぐるっと、一時間歩いてくるとおっしゃった。
「わたし、体がよくなくて、あまり歩けなかった。けどこうやって歩いていると、体が元気になってきました。家はこの町の下のアパートに住んでいます。夫と二人。」
言葉になまりがあったから、どこから来られたのかと聞くと、韓国からきたとおっしゃった。
「じゃあ、この道の上の、ソウルさん、ご存じ?」
「はい、知っています。」
ソウルさんは、韓国料理の民宿をやっている。旦那は日本人、奥さんは韓国人。
「どんどん、歩きましょうね。私も膝が痛いけれど、歩いています。今、手作りベンチをつくって、この道のあちこちに置いています。足の痛い人が座れるように。今朝は、そこに座って歌を歌ってきました。」
そう言うと、彼女は、ワハハハハと、愉快そうに笑った。