ディン君へおみやげ

 

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 日曜日夜、公民館での日本語教室にやってくるベトナム人ディン君に、我が家で穫れた枝豆、ゴーヤ、ナツメ、トマトを持っていった。

 「枝豆はゆでて、ほんの少し塩を入れて、食べるとおいいしいよ。」

 そう言うと、「ゆでる」という言葉が??? この言葉、彼は初めて出会う。

 「ゆでるというのはね、‥‥」

 説明していると、「ゆでる」と「ゆがく」はどう違うのかなあ、という疑問が僕の頭に湧いてきた。

 「ベトナム語辞典にはどう書いてあるかな。」

 ディン君は、二つの日本語を辞典で調べた。

 「ちょっと書いてあるのが違います。」

 「ふーん、どう違うかなあ。」

 ベトナム語の説明はぼくには分からないから、この二語はどういう時に使うか、使用例で考えてみた。

 湯を沸かして、野菜などを湯だけで煮るのは同じだが、「ゆがく」は、次の過程と関連があるのじゃないか。「ゆがいて、あく抜きをする」とか。

 日本語教室に来ている三人の女性スタッフに質問してみた。

 「意味は同じじゃない?」

 「信州では『ゆがく』は、使わないねえ。」

 

 袋に入ったナツメを見たディン君、

 「この実、ベトナムにもあります。お母さんが持って帰ってきたことがある。なつかしいね。」

 ゴーヤはもちろん、暑い国にはある。

 話題は最近のニュースになった。

 土砂崩れで、ベトナム人技能実習生が二人巻き込まれたこと、一人の遺体が土砂の中から発見されたこともディン君は知っていた。多額の借金を背負って日本に来て、若い命を落とした。死んだ実習生の家族の悲しみはどれほどか。ディン君の表情も深刻だった。

 

ランが「ワン」と一声吠える。

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ランが「ワン」と一声吠える。

トイレに行きたいよ。

雨が降っていたら、リードを付けずに、玄関から出してやる。

ランは庭の隅の、植え込みのあたりを、行ったり来たりして、場所を決め、オシッコをする。

ランが「ワン」と一声吠える。

散歩に行こうよ。

ウンチもしたいよ。

リードを付けて、外に出る。

ウンチをすると、古新聞紙でつくったウンチ用紙で取り、ポリ袋に入れて持って帰ってくる。

ランが「ワン」と一声吠える。

庭に行きたいんだな。

放してやると、いつもの居場所に走っていく。

途中で、道草をくう。

草の中に鼻を突っ込んで何かを食ったりする。

ランが「ワン」と庭で一声吠える。

雨が降ってきたよ。風が強くなったよ。

あわてて洗濯物を取り込む。

ランが「ワン」と一声吠える。

もう食事の時間だよ。

ドッグフードを容器に入れて持っていく。

ランが「ワン」と一声吠える。

ミルクの時間だよ。

普通の牛乳を水でいくらか薄めてある。それがお昼のオヤツの飲み物。

ランが「ワン」と一声吠える。

オヤツが欲しいよ。

庭の畑で、キュウリがよくできていた時は、一本の半分、

もうキュウリが終わったから、ミニトマトのいくつかがオヤツ。

ランが「ワン」と一声吠える。

家に入りたいよ。

 

朝晩涼しくなってきた。

ランは15歳。

 

夏の合唱団」

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 夕闇が深まったころ、ランを連れて近所の散歩に出た。

 街灯の灯に、道の上の長い紐のようなものが、浮かび上がった。前かがみになって見るが、ヘビの死体のようでもあるし、草の太い茎のようにも見える。何だろう。明日明るいときに見よう、そう思って帰ってきた。

 翌日、そこへ行ってみると、ヘビのようなものはもう見当たらない。

 この地に来て15年になるが、ここでヘビを見たのは一回だけだった。庭にランがつながれていて、その近くをヘビが這って行った。ランは、「怪しいやつだ」、というような顔つきで眺めていた。

 僕の子ども時代、大阪の河内野には、たっぷり自然が残っていた。トカゲ、ヘビ、イタチ、カエル、キリギリス、トンボ、ムカデ、セミ、カマキリ、イナゴ、バッタなど、無数の生物が毎日遊ぶ子どもの周りにいた。セミウシガエル、キリギリスは「夏の合唱団」で、毎日、彼らの合唱はうるさいほど盛んだった。朝、目が覚めると、セミの声が「ジャンジャンジャン」、「ジージージー」。ウシガエルが、「ボウ、ボウ、ボウ」。キリギリスが「チョンギ―ス、チョンギース」。

 

 移住した安曇野は静かだった。「夏の合唱団」は存在していなかった。ヘビもいない、トカゲもいない。

  キリギリスも、トノサマバッタも、ショウリョウバッタもいない、

 ヘビのようなものを見てから三日目。

 朝のウォーキングの帰り道、あのヘビのようなものが、別のところに移動して道の上に伸びていた。おう、やっぱりヘビだ。頭がつぶれて死んでいる。車にひかれたのだろうか。背中の模様から、ヤマカガシのようだ。かろうじて生息していた貴重なヘビが、死んでいる。

 散歩の途中で出会った、やはり犬の散歩をしているおばさんが言った。

 「昔は、いっぱいいたけれどね。今は圃場整備をし、田畑に農薬や化学薬品を使うからね。いなくなったね。」

 

道で出会った人

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 今朝、野の道の向こうに、赤いズボンに白いシャツを着た女性らしき姿を見た。近づいていくと、やはり女性で、彼女は道にしゃがんで、何かを見ている。

 何をしているんですか、問いかけると、「みみ‥」なんとか、わけの分からない言葉を言った。地面を見るとミミズが這っていた。

 「ああ、ミミズを見ていたんですか。」

 「はい、ミミズ」

 外国の方だな、そう思ったぼくは、

 「どちらの国から来られたんですか。」

と尋ねた。初めきょとんとしていたが、意味がつかめたらしく、

 「タイワン」

と言った。

 「ああ、台湾から来られたんですか。」

 「はい、タイワンから来ました。」

 日本語があまりよく分からないようだから、ぼくも分かりやすいように、ゆっくり質問を繰り返していくと、日本に来て一年、結婚してこの近くに住んでいる、日本語は自分で勉強しているということが分かった。

 「わたしは、日本語を教えています。日曜日の夜、7時から堀金公民館で教えています。来て勉強しませんか。以前、中国人に教えていました。今ベトナム人に教えています。」

 「ああ、センセイですか。わたし、勉強したいです。」

 「来てください、勉強しましょう。」

 しばらく話を交わして別れた。

 少し行って振り返ると、彼女はまた道にしゃがんで、何かを見つめていた。

 公民館に来るかしらん、日曜日の夜だから、旦那がOKするかだなあ。公民館まで送り迎えもしてもらわないといけないし、理解のある旦那だったらいいが。以前、中国人の女性で同じように結婚してこの地に住んで、日本語教室に来始めた人がいたが、夫婦の関係が悪化し、分かれてしまった。たぶん女性は国に帰ったと思う。

 自分の意思や感情を、相手に伝えられないと、関係が険悪化したとき、どうしようもなくなる。以心伝心なんて、限界がある。結婚という重大なテーマを、若い時の一時の考えでやってしまい、そのあと、二人の関係を作り上げていく努力をしなかったら、破綻がやってくる。ご近所や地域社会に、支えてくれる人ができたら助かるのだが、なかなかむずかしい。

 

 今晩、日本語教室だ。 ディン君が待っている。それにしても、台風10号の余波が気になる。どえらい台風だぞ、まったく地球は大変な状態になってきた。

 

 

ランちゃん、死んだらあかん

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 去年、八月の酷暑の日、ランは危うかった。立ち上がれず、水も飲めず、獣医さんに診てもらって、三日間動物病院の世話になり、助かった。

 今年もひどい暑さだ。ランはひたすら耐え忍ぶ。

 家の軒先の日陰で過ごしたり、玄関の土間で寝そべって、トイレに行きたくなったら「ワン」と鳴き、のどが乾いたら「ワン」と鳴き、食事の時間が近づいたら「ワン」と鳴く。夕方の散歩のときは、水路の水の中にジャボンと入る。この時がいちばん快適なひととき。

 

 遠くに住む孫たちは、電話してくる。

 「ランちゃん、元気?」

 「ランちゃん、死んだらあかんでえ。」

 

 

 「ネロ ――愛された小さな犬に」という詩がある。谷川俊太郎の詩、その一部。

 

  ネロ

  お前の舌

  お前の眼

  お前の寝姿が

  今はっきりと僕の前によみがえる

 

  お前はたった二回程夏を知っただけだった

  ‥‥

  ネロ

  お前は死んだ

  誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って

  お前の声

  お前の感触

  お前の気持ちまでもが

  今はっきりと僕の前によみがえる

 

 ランはもう老犬。あとどれだけ生きられるか。この夏は、なんとか生き延びられそうだ。早朝の散歩に同伴してくれている、ハアハアハア、息を弾ませて。

 コロナの影響で、孫たちの今年の夏は、ジジババのところに帰ってこれない。

 孫娘が叫んでいる。

 「死んだらあかんでえ、ランちゃんにそう言うといてねえ。」

池澤夏樹、小説「また会う日まで」

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  新聞の連載小説を、毎朝読んでいる。池澤夏樹の「また会う日まで」。

 この小説の連載開始は、今月の八月一日だった。その日、「この小説は読まねばならない」という思いがふっと湧いた。この小説が池澤の遺書のような気がしたのだ。彼は、1945年7月7日に生まれている。私より若い。敗戦の少し前。

 小説は、こう書き出している。

 

 「わたしのこの世での日々はまもなく終わろうとしている。

 それをわたしは受け入れる。

 主のみもとへ旅立つ。

 この世に残す思いはない。

 ‥‥

 わたしは主の前に立った時に自分が生きた毎日毎月毎年をきちんと報告できるよう生涯を整理しておかなければならないと思う。それはまたわたし自身のためでもある。

 

 人はみな草のごとく、 

 その光栄はみな草の花のごとし、

 草は枯れ、花は落つ。」

 

 小説は戦中から戦後にまたがる。主人公は天文学者であり軍人であった。またキリスト教徒だった。

 昭和十七年六月、連合艦隊はミッドウェイに攻撃をかけた。そして大敗を喫した。艦長の加来は船と共に海に沈んだ。

 

 「昭和二十二年三月、わたしは後楽園で激しい雨に打たれながら、加来の身を包んだ海の水のことを思った。自分に降る雨の量はまだまだ足りない。

 たくさんの仲間が死んだ。

 たくさんの国民が死んだ。

 たくさんの人間が、太平洋で、南洋の島々で、大陸で、越南(ベトナム)やフィリピンや蘭領東インドで、亡くなった。未だシベリアに抑留されている同胞もいる。

 わたしは立ち上がれなかった。」

 

 「一億の民の思いがうねりとなって国を揺り動かし、それを利用して思いをとげようとする輩(やから)が政治を動かす。

 真珠湾の勝利の時、本当のところどれだけの勝算があったのか。山本五十六さんの危惧を共有する者がどれだけいたか。

 今ならば問うことができる。しかし、我々はあの時にこそそれを問わなければならなかったのだ。」

 

 歴史を訪ね続ける。過去を問い続ける。私もそれを日課にして、初めての小説を書き続けている。

 それは遺書ともなるだろう。

 

大嵐

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 昨日の午後の嵐はすさまじかった。

 雷鳴がとろき、強い東風がしのつく雨を横殴りに吹き付ける。バリーン、裂くようなカミナリ。危険を感じて、パソコンの電源を切る。激しい風と雷雨は二時間ほど続いた。

 

 嵐が去った今朝、日の出前の、ランとのウォーキング。周辺の稲は倒れてはいなかった。我が家のゴーヤが支柱ごと倒れていた。

 道を行くと、オミソチャンを連れたオバサンとあいさつを交わす。犬の毛が味噌色だから、オミソチャンと付けたと初めて会ったときおばさんが言った。

 「昨日はすごかったですねえ。」

 「オミソはぶるぶる震えていましたよ。」

 「私の友人の犬は、雷が来ると恐怖のために、外へ飛んで出ていったらしいですよ。」

 ひとしきり、「嵐と犬」談義。

 

 道を行く。今度は柴犬カイト君を連れて望月さんが歩いて来た。

 「昨日は、たいへんでしたよ。散歩の途中で、どしゃぶりの雷がやってきたで、ずぶぬれになってね、公民館の軒に入って、一時間雨宿りをしてましたよ。」

 しばらく道の真ん中で、昨日の嵐談義に花が咲いた。

 

 今朝は気温がぐっと下がった。野菜や鉢物、ブルーべリーに水やりをしないですむ。

 ほっ。

 庭のムクゲの樹に、シジュウカラの群れがやってきた。何かをついばんでいる。

 昨日の嵐のとき、小鳥たちは、どこに避難していたのだろう。