「ひきこもりの国」  <8>

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 元政府高官だった男性が、ひきこもりの息子を殺害したという事件が起きている。男性は70代、息子は40代、度かさなる息子の暴力に怯え、発作的に殺害に及んだらしい。この悲劇に至る前に、どこからも救いの手がのべられなかった。息子はなぜ独立することが出来なかったのか。なぜ親放れできなかったのか。孤独な家庭の、孤独な親の、孤独な息子の絶望的な結末。社会も分断社会。

 元来子どもの生育過程は、親から放れて自立の道を歩むことだった。子どもは親元を放れ、夢を抱いて冒険の旅に出る、それを社会という大きな人の群れが、旅を受け入れ、冒険を見守る。現代日本では、生物界のこの原理が崩れてしまっている。ひきこもりは家族の問題なのか。社会がそれを生んでいるのか。国がその大きな原因になっているのか。

 100万人を超えている「ひきこもり」、実態は隠されているからよくわからない。子どものひきこもり、若者のひきこもり、中年のひきこもり、高齢者の一人暮らし・孤立化。労働者を低賃金でこきつかい、ポイ捨て、失業。

 

 ジーレンジガーは、アメリカ人のジャーナリストの眼で日本を見つめた。日本という国の政治はどうなっているのか。

 「際限のない犠牲を強いる契約(日米安全保障条約)の必然的結果として、日本はアメリカの外交政策を一も二もなく支持せざるを得なくなっている。国益に反する場合もそうである。イラク戦争がいちばんよい例である。小泉首相ブッシュ大統領を支持するしかなかったのだろう。日本の自衛隊イラクに派遣した。イラクへの自衛隊派遣は、日本の平和主義憲法にあきらかに違反していた。だが日本の政治家の頭の中は、アメリカに逆らえば、北朝鮮が日本に核攻撃を仕掛けた時いったい誰が守ってくれるのかという心配でいっぱいだったのだ。これによって日本の長年の希望だった国連安保理事会の常任理事国への道は閉ざされた。イラク戦争は国連の承認なしに一方的に始められたからである。今日本は憲法を改正して、戦争放棄の条項を削除する計画を真剣に議論している。しかし、日本の軍事力が古いくびきを解かれて、世界へ自由に展開できるようになったら、中国、韓国、台湾などを巻き込んだ、破壊と不安定化をもたらす軍事競争が始まるかもしれない。」

 国際的にも国内的にも、問題が山積している。政府は、米軍基地のために辺野古の海を埋めたて強行し、自衛隊ペルシャ湾に派遣することを目論み、在日韓国、朝鮮人の三世の市民権、コリアンの民族学校を認めていない。日本は、政治難民に対してもひじょうに冷淡なままだ。

 「日本はどのような国を目指すのか。どうやって複雑な世界を切り抜けていくのか。

 こうした疑問に対して、たいていの日本人は答えられない。日本人はこれまで状況に働きかけて影響力を行使するのでなく、ただ順応することだけに専心してきたからだ。」

 日本人には国際的な問題についての知識、国内的な問題についての考えがきわめて貧しく、だからそういう問題についての一般社会での議論がほとんどないという指摘は当たっている。

 日本社会が、引きこもっている。

 

 

 

「ひきこもりの国」  <7>

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 「日本人が夜遅くまで働くのは、働く以外の魅力的な選択肢が不足しているからだ。週35時間労働で、年に6週間の休暇を楽しんでいるヨーロッパとは大違いだ。日本のホワイトカラーは、やるべき仕事があってもなくても、たいてい日が沈んでからもずっとデスクにしがみついている。」

 日本人は、「生きること」よりも、「働くこと」を優先するように教育されている。

 アルコール依存症うつ病、自殺、バーンアウト燃え尽き症候群)、これらはみな関連しており、強力な共通の原因が存在する。その原因は日本社会のなかにあるのに、日本人は、その人の個人の問題、責任にしてしまう。その人の努力や能力が足りないのだ、と。

 「『うつをやめれば楽になる』を翻訳出版した水澤医師によれば、うつになる人は、自分のことより、他人に気を遣うあまり、救いの手を拒絶することが多い。

 日本人は、うつ病の克服について話し合うことには消極的だ。それがこの病気と闘うことをさらに困難にしている。」

 だから、ひたすら隠す。隠さないと、偏見によって家族に迷惑がかかると考えてしまう。不名誉なこと、不利になると思ってしまう。

  日本には、アルコール依存症に関する信頼できるデータはほとんどない。

 

 「ひきこもりの国」の出版から、十数年たったが、根本的な政策も改革も、学び合いも進んでいないように思える。

 子どもの健全な発育に必要な、環境、教育、生活の改革はまったく進んでいない。

 自然の中、街の中で、放課後や日曜日に遊び回る子どもの群れは絶えて見られない。相変わらず孤独な子どもの姿がある。

 労働者の超過勤務、ゆとりのなさも、疲弊をもたらし続けている。

 

 

 

 

 

「ひきこもりの国」  <6>

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「日本の若者は、批判的に思考する教育を受けておらず、それを奨励もされていない。権力への反発を示すためのメカニズムも存在しない。故に社会を作り直すのに力を貸すべき20代、30代、40代の人たちがその社会から離脱しようとして、ついには「ひきこもり」のような自己破壊的な道を選び、カラに閉じこもってしまう。

 日本の若者に広がる絶望感は、努力は報われると信じる者たちと、どんなにがんばっても成功は望めないとあきらめた者たちとの間の希望の格差が広がっていることに起因している。」

 夢がない、希望を持てない、先進国でこれほど自殺率の高い国はほかにあまりない。未来はどうなるのか、その閉塞感は令和の時代も深刻になってきている。しかし、現象面ではなんとなく、なんとかなるのだろう、なんとかしてくれるだろうと、楽観がたゆとうている。

 新聞の声欄に、「塾の生徒に質問したら、真珠湾攻撃から戦争が始まったことを知らなかった」との嘆きが出ていた。15歳以上の日本の男子が「国民義勇戦闘隊」に組織され、戦争に参加させられることになっていたなんて、そういう歴史もかすんでしまっている今の日本だ。中学、高校で、グレタさんの演説を知っているか、香港のデモに中学生高校生が参加しているのを知っているかと聞いてみたら、どんな答えが返ってくるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「ひきこもりの国」  <5> 

 

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 福島原発事故の前、2003年に起きていた重大な出来事をジーレンジガーがキャッチした。

 福島の原発で、保守点検を担当していたGE社の日系アメリカ人、カイ・スガオカは、GE社を解雇された。それはなぜか。

 「スガオカは原子炉に亀裂が入っている様子を映したビデオテープを上司が消去しているのを目撃したのだ。スガオカはその事実を規制当局に告発すると、当局は東京電力とGE社に、告発者のスガオカの名前を伝えてしまった。そしてスガオカは解雇された。告発者は保護されるというのはウソである、とスガオカは言った。2003年、東電は破損箇所を修理し、他の原子炉についても同様に老朽化が起きていないか調べるために運転を中止した。

 日本で企業の違法行為を暴露する人は、しばしば裁判を経ずに処罰される。」

 そして筆者はこう指摘する。

 「『ひきこもり』を調べるうちに、『ひきこもり』の若者たちが日本社会の価値観を拒絶していることがわかってきた。日本のシステムは、重圧、義務、相互の犠牲によって作り上げられたもので、寛容や思いやりを育てるようにはできていない。第二次世界大戦から60年経っても、日本の価値観の核心はほとんど変化していない。

 1997年、私は日本初の女性国会議員の加藤シヅエにインタビューした。

 加藤は、1937年、政府が軍事野望のために、国民に『産めよ増やせよ』と求めていることに対して、避妊の正当性を訴えた。それによって加藤は投獄された。戦後、労働者や環境の問題で闘ってきた加藤は、100歳を迎えていた。加藤は語った。

 『日本の男たちの行動は、自分が生まれたときから変わっていない。日本の男は昔と同じで、囚(とら)われの身であり、しがらみで、がんじがらめになっている。だから思ったことをはっきり言えない。』と。

 封建制から工業化、戦争、そして復興と、恐ろしいほどのスピードで突っ走ってきた日本には、国家から独立した個人の力、社会から独立した自己、集団の感情から独立した個人の良心の重要性といった考え方、すなわち啓蒙思想が個々の人生の中に一度も入ってこなかったのだ。『ひきこもり』の問題は、日本全土に広く見られる精神的荒廃を反映している。」

 「ひきこもり」の原因は、日本の社会、政治、経済、教育、環境、生活、人間性、人間関係、すべてが関係している。

 そうして「ひきこもり」になる人、「自殺」におちいる人、犯罪にはしる人、病にふせる人、家を捨てる人などと、複雑多岐にわたり、悲鳴は押し殺されているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ひきこもりの国」  <4> 

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 ジーレンジガーは言う。明治以後の日本は政府主導で国のシステムをつくってきた。その中核に学校制度と教育があり、統制と訓育によって日本国民をつくることを貫徹した。そして強大な力を持つ軍国主義を育てた。

 しかし、日本という現実、世界という現実を正しく見ることができなかった日本は戦争に敗れた。そして戦後日本は、民主主義国家として再生した。が、日本の本質はゆらぐことなく、今度は世界市場での勢力拡大に突き進んだ。

 教育も本質は変わらなかった。男子生徒に軍服のような服を着せ、同じような学校に通わせ、同じような教科書で学ばせる。「逸脱者」は片隅に追いやられた。

 「逸脱者」のもつ創造性や非凡なひらめきが変化をもたらすかもしれないのに、才能ほとばしる独創的な独学者は居場所を失った。小沢征爾三宅一生など創造的な才能の持ち主の多くは環境を見つけるために日本を捨てざるを得なかった。

 

 教育は未来の社会をつくるために欠かせない。だが日本の教育行政はたぶん本質的には変わっていない。戦後、教育創造の波が澎湃として起きた。学校革命、教育革命を推進した人たちがいた。それでも体制としての教育は国家の統制のなかにあり、学校と教師の体質は変わっていない。

 

 「日本が根本的変化の必要性を認めようとしないのは、何かを失うのが怖いからだろうか。私には日本の生来の保守主義がさらに強化されているように思われる。日本人の多くは。個人には日本の針路を決めたり変えたりする力はないと思いこんでいる。互いに『仕方がない』とつぶやいて終わりである。

 2004年イラクで、三人のボランティア活動をしていた日本人が過激派の人質となった。解放されて帰国した時、彼らを迎えたのは国民の冷たい視線だった。空港で『自業自得だ』と書いたプラカードをもった日本人がいた。政府は三人に航空運賃6,000ドルを請求した。政府のスポークスマンは、危険だという政府の警告を無視し、多くの人びとに迷惑を掛けたとして三人を非難した。

 アメリカのパウエル国務長官は,『崇高な目的のために身を危険に晒した』と三人の活動を賞賛した。」

 

 

 

 

 

「ひきこもりの国」 <3>

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 1999年、引きこもりの息子を持つ60歳の男性がついにタブーを打ち破り、行動に出た。奥山雅久、全国に百万人以上居ると言われる、引きこもりに苦しむ人たちを支援するための親の会の設立だった。「全国ひきこもりKHJ親の会」。奥山が言う。

 「日本のシステムには構造疲労の兆しが見える。日本の若者たちが大人になろうとしない、なれないのはそのためです。自分の子どもがいつ引きこもりになってもおかしくない、そういう恐ろしい時代なのです。」

 ジーレンジガーが述べる。

 「外からの、特に外国人からの圧力がなければ、日本は自身が抱えている社会的機能不全に正面から取り組もうとはしないだろうと奥山は確信している。より多くの外国人が日本社会の病理を暴き、解明するようになれば、日本政府もそれを恥じて、もっと敏感に反応するようになるだろうと。日本人はよく言う。日本はマニュアル社会だと。官僚はマニュアルに書かれていないことが発生するとどう対応していいかわからなくなる。日本国民が、官僚たちの硬直性や意思決定のあいまいさを公然と非難できるようになったのは、おそらく阪神・淡路大震災以降のことである。あの大震災のときの官僚組織の対応はあまりにもお粗末だった。」

 奥山は有志と共に全国に支部を立ち上げた。2,003年、やっと厚生労働省ガイドラインを発表した。

 ジーレンジガーは、日本の一青年の話を紹介している。

 「ジュンの長期に渡る底なしの憂鬱は海外旅行によって終わる。それはタイへの旅だった。一挙手一投足を監視されているように感じられる日本の抑圧の壁から逃れ、ジュンの不安は和らいだ。バンコクバックパッカーの安宿に滞在したとき、日本からタイに移住してきた手工芸品店の店主と親しくなった。その男性との会話でジュンは大いに励まされた。

 ぼくも、自分で生計が立てられるようになりたい。自立したい。

 ジュンは日本に帰り、心理療法を受ける。3週間の野外合宿に参加し、丸太小屋で生活し、農場で馬や家畜の世話を手伝った。ジュンはそこで人を信頼し、他人と友情で結ばれることを体験で教わったのだった。」

 

 

 

 

 

「ひきこもりの国」 <2>

 

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 ジーレンジガーは問いかける。

 「陰湿ないじめや、すさまじい圧力を受け、あるいは社会への順応を厳しく求められることによって個人の自己表現が抑圧されているのはなぜか。

 自前のエッフェル塔を建て、ピザの焼き方やゴルフのやり方を習得し、ヒップホップを聴き、エアロビクスを楽しみ、ワインバーで盛り上がり、オランダの街並みを再現したテーマパークを建設するほど自由で大胆な日本が、かつて欧米諸国をゆるがせた政治性、ジェンダーの変革に、なぜ一度も加わらなかったのか。

 有益な政治的、社会的変革をもたらすはずのメカニズムはどうしてうまく動かず、才能ある若者たちを閉じ込め、何も出来なくさせているのか。」

 「私は、様々な人に話を聞いたが、社会的に孤立した人がたくさんいた。『ひきこもり』や『ひきこもり的』な人の知り合いがたくさんいた。

 日本が悲惨な戦争の記憶を正視することを拒否し続けてきたのと同じで、多くの人が『ひきこもり』の存在を否定する傾向は、長年にわたって培われてきたもののように思われる。うわべだけのつきあいでは、『ひきこもり』が話題になることはめったにないし、話題になったとしても『しかたがない』という消極的同意ですませてしまう傾向が強い。これは、困ったことがあった時に、もっともよく見られる反応であり、そのような無関心がまるでガーゼのように社会全体を覆っているのだ。」

 「ひきこもり」が家庭内暴力に発展したケースも起きており、生命の危険にも及んでいる。それなのに隠された存在になっている。なぜなのか。

 「不名誉や恥となるようなことは否認するという文化が日本社会全体に浸透しており、家族内暴力があっても、人びとはそれを認めようとしない。日本人は、くさいものにフタをしようとする。家庭内暴力を表に出したがらない、とは日本人がよく言うことである。

 『近代化』と『進歩』を追求してきたかに見える日本は、精神医学が完全に定着したとはとても言えない状況である。医療機関や福祉行政に助けを求めようとした親たちも、すっかり疲れ果て、結局あきらめてしまうことが多い。」

 

 この文章が書かれてから12年が経つ。2019年の今、日本の社会、日本の政治の状況はどうか。状況は良い方へ動いているか。

 ぼくの頭に、「菊と刀」がひらめいた。戦後すぐに、アメリカの人類学者ベネディクトの著した「菊と刀」は日本でも出版され、多くの人に読まれた。著者は、太平洋戦争のさなかに、すでにこの戦争はアメリカの勝利になると予測し、さすればアメリカは日本を占領する。そのとき、日本人とはどんな民族なのか知っておかねばならないという政策のもとで研究調査されて書かれたものだった。この書が日本人にインパクトを与えたのは、「罪の文化と恥の文化」の違いだった。西欧では道徳律にもとづく罪の文化であり、日本は他者の非難や嘲笑を恐れて自らを律する恥の文化が強く存在する。欧米での道徳律の元には神への信仰があり、自らの罪を見つめようとする。しかし実際にはアメリカ人も戦争で非道を行い、罪の文化がどれほど人を律するのかと思うけれど。

 そして恥の文化では、「人からどう思われるか、恥ずべきことは避けよ」、これが人を率することになる。だから実際には、恥にならないように「隠す」ということが起きる。ひどい人は「ごまかす」ことになる。

 今や、政治の世界では隠蔽とウソ、詭弁がまかり通っている。権力を握っている政治家たちの答弁を聞いてみよ。日本社会、ここに極まれり。