「ひきこもりの国」 <2>

 

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 ジーレンジガーは問いかける。

 「陰湿ないじめや、すさまじい圧力を受け、あるいは社会への順応を厳しく求められることによって個人の自己表現が抑圧されているのはなぜか。

 自前のエッフェル塔を建て、ピザの焼き方やゴルフのやり方を習得し、ヒップホップを聴き、エアロビクスを楽しみ、ワインバーで盛り上がり、オランダの街並みを再現したテーマパークを建設するほど自由で大胆な日本が、かつて欧米諸国をゆるがせた政治性、ジェンダーの変革に、なぜ一度も加わらなかったのか。

 有益な政治的、社会的変革をもたらすはずのメカニズムはどうしてうまく動かず、才能ある若者たちを閉じ込め、何も出来なくさせているのか。」

 「私は、様々な人に話を聞いたが、社会的に孤立した人がたくさんいた。『ひきこもり』や『ひきこもり的』な人の知り合いがたくさんいた。

 日本が悲惨な戦争の記憶を正視することを拒否し続けてきたのと同じで、多くの人が『ひきこもり』の存在を否定する傾向は、長年にわたって培われてきたもののように思われる。うわべだけのつきあいでは、『ひきこもり』が話題になることはめったにないし、話題になったとしても『しかたがない』という消極的同意ですませてしまう傾向が強い。これは、困ったことがあった時に、もっともよく見られる反応であり、そのような無関心がまるでガーゼのように社会全体を覆っているのだ。」

 「ひきこもり」が家庭内暴力に発展したケースも起きており、生命の危険にも及んでいる。それなのに隠された存在になっている。なぜなのか。

 「不名誉や恥となるようなことは否認するという文化が日本社会全体に浸透しており、家族内暴力があっても、人びとはそれを認めようとしない。日本人は、くさいものにフタをしようとする。家庭内暴力を表に出したがらない、とは日本人がよく言うことである。

 『近代化』と『進歩』を追求してきたかに見える日本は、精神医学が完全に定着したとはとても言えない状況である。医療機関や福祉行政に助けを求めようとした親たちも、すっかり疲れ果て、結局あきらめてしまうことが多い。」

 

 この文章が書かれてから12年が経つ。2019年の今、日本の社会、日本の政治の状況はどうか。状況は良い方へ動いているか。

 ぼくの頭に、「菊と刀」がひらめいた。戦後すぐに、アメリカの人類学者ベネディクトの著した「菊と刀」は日本でも出版され、多くの人に読まれた。著者は、太平洋戦争のさなかに、すでにこの戦争はアメリカの勝利になると予測し、さすればアメリカは日本を占領する。そのとき、日本人とはどんな民族なのか知っておかねばならないという政策のもとで研究調査されて書かれたものだった。この書が日本人にインパクトを与えたのは、「罪の文化と恥の文化」の違いだった。西欧では道徳律にもとづく罪の文化であり、日本は他者の非難や嘲笑を恐れて自らを律する恥の文化が強く存在する。欧米での道徳律の元には神への信仰があり、自らの罪を見つめようとする。しかし実際にはアメリカ人も戦争で非道を行い、罪の文化がどれほど人を律するのかと思うけれど。

 そして恥の文化では、「人からどう思われるか、恥ずべきことは避けよ」、これが人を率することになる。だから実際には、恥にならないように「隠す」ということが起きる。ひどい人は「ごまかす」ことになる。

 今や、政治の世界では隠蔽とウソ、詭弁がまかり通っている。権力を握っている政治家たちの答弁を聞いてみよ。日本社会、ここに極まれり。