消えていく「ずら言葉」

 

 

 信州安曇野に移り住んで、この四月で18年になる。信濃の山に登り始めたのが18歳の時だったから、信濃は僕の人生の大半を占める。

 大学山岳部の頃、夜行の蒸気機関車木曽路を過ぎ、松本平に入ると夜が明ける。窓を開け、ひんやりと澄んだ外気を吸い込むときの心の高鳴り、窓から見る山々、村々、山へのあこがれがどっと胸に湧き起った。

 あの頃はまだ、信濃弁が残っていた。親しくなった地元の人の地の言葉は、何とも言えず好ましかった。僕らはその言葉を「ずら言葉」と呼んでいた。

 臼井吉見の小説「安曇野」から、その「ずら言葉」を抽出してみる。

 

「あねさまあ、とうとう雪になりましたに。おやまあ、どうしてこんねにきれいにできるもんずら」

「だいぶ炉火が呼んでござるから、おっつけ木下さんも見えるずら」

「良さ、眠いずらに、いろり番はおきよにまかせて、すこし休んだら?」

 

 岡田喜秋は、大糸線の東側の過疎地、善光寺につながる旧街道を好んで歩いた。その随筆に、こんな信濃弁が出てくる。

「ちょっと休んでいきまっしょ」

「春になれば、タラの芽のテンプラ、ごちそうしまっしょ」

「大正時代までは、街道を旅するマユの仲買人が泊まってくれたずら。鉄道できてから、さっぱりだんね。」

「外を見なっしゃれ、ほらや、景色がちごうとるのし」

「むかしは街道をたくさんの馬を連れた馬子が通ったずら」

「街道にたくさん供養塔があるのし。死んだ馬や馬子の供養塔ずら」

「ここはもう陸の孤島ずらね。」

 

 ぼくが学生の頃はまだ耳にした信濃弁、今はもうまったく聞かない。ぼくの故郷の、大阪河内弁も変わり果てた。

 今日、九州の佐賀弁か博多弁かを語る、漁師でありながら奥さんに習ってピアノを練習し、ラ・カンパネラを弾く人のドキュメンとを見た。何ともその人の方言の生き生きとした香りがすばらしかった。