夕映えの歌

   


    積もった雪は、膝ぐらい。工房の薪ストーブに火を入れ、妻と二人、暖を取りながら本を読んでいると、降りしきる雪の中、家の前の道路に雪かきする三人の人影が見えた。出て見ると、ご近所のOさんの息子さんと娘さん、そして雪かきの手伝いに来てくれた息子さんの友人だった。挨拶を交わして、ぼくも一緒に雪かきをした。

    Oさんはつい最近、難病でお亡くなりになった。奥さんと息子さん、娘さんの三人が我が家に来られ、訃報を告げられた。Oさんは入院や通院を繰り返し、治療を受けておられたが、少し元気になられたのではないかと思っていたら、突然の悲報だった。 奥さんは、葬儀はしないで家族で見送る旨、告げられた。Oさんの葬儀は、家族葬なんだなと理解したが、別れのあいさつを何もしないことに、なんとなく心が引っかかった。せめては位牌か御骨に別れをしたい。そして、「あの歌」を歌って、お別れしたい。「あの歌」というのは、Oさんの家から200メートルほど野の道を行ったところに、ぼくが廃材を使って手作りした野のベンチがあり、そこに座って、一人夕暮れに声を上げて歌う歌だった。

    西の空が真っ赤に染まる見事な夕焼けの日があった。あまりに感動的なのでOさんの家に声をかけて、

   「美しい夕映えですよ、見事ですよ、一緒に観ませんか」

    Oさんは奥さんと一緒に出てきて、三人で燃えるような夕映えを眺めた。ぼくの口をついて、「あの歌」が流れ出た。

         夕べ 峰に 訪れて

         あかね空に 陽は入りぬ

         流れる雲は 紫に

         あしたを語る 星月夜。

    その時の歌、それを亡き人の墓前で歌い、Oさんとお別れをしたい。

Oさんの旅立ちから数日経った。そして雪が降り積もるこの日になった。

    雪かきの手を休めた娘さんに、ぼくは声をかけた。

    「お父さんに、お別れをしていないので、位牌かお骨にお別れしたいと思っているんですが。」

    娘さんは、雪かきスコップに手を置いて、にこやかに応えられた。

    「私たち家族は、特に葬儀というものをしませんでした。火葬での骨上げもしませんでした。父はよみがえります。それが私たち家族の信仰です。」

    そう言って、聖書の中にあるという魂のよみがえり、復活を語られた。その話を聞いて、そういうことだったのか、と納得した。死しても永久の別れではない、家族の愛、信仰の共有、記憶の共有、そのなかに父は生き続ける、それがOさん家族の信仰なんだと、自分なりの理解をした。

    世界にはさまざまな信仰があり、死者の見送りも異なるものがある。葬送法にも、火葬、土葬、奄美大島だったかの風葬インドガンジスの水葬、チベットの鳥葬‥‥、ジャーナリストで探検家だった本多勝一は、ニューギニア高地人の葬儀に出会ったことを書いていた。亡くなった人の遺体を山に運び、村を見下ろす森の木に棚を作って遺体が村を見下ろすように安置する。遺体はずっと村を見守ってくれるのだと。

    雪が降り続いていた。温かくて甘いタイコヤキをもってOさん宅へ行こう。あの歌を歌ってこよう。