島尾敏雄とは 吉本隆明

 

 

  島尾敏雄吉田満の対談記録の後に、吉本隆明 も意見を述べている。

 

    「わたしたち戦争の年代が、島尾敏雄を頼みと感じた理由のうち、いちばん大きなものは、彼が戦争体験の表現を、自分の宿命的な資質の根にとどくところまで追いかけ、描き切った点にあった。戦争はいつも個人の手の届かないところからやってきて、個人を巻き込んでいく。戦争に出会うということは、たまたまその時代に生まれ合わせた、偶然に過ぎない。

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    島尾敏雄の秀作「出発は遂に訪れず」は、人間魚雷をあやつる特攻訓練を積み、一度出撃すれば必ず死である行為を迎えるために、心のためらいを自死のイメージにまで高めて行く葛藤を経たのち、いよいよ出撃を迎える日に、終戦となって、いわば死から突如引き外される体験の物語である。

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    人間はなぜ行為し、体験を積み重ねるのか。

    それは挫折するためだ。だが、ただ挫折するためではない。自分の資質が宿命的に描いてしまう固有の挫折の仕方に出会うためだ。これが島尾の私たちに啓示してみせた理念であり、思想であった。

    人間は挫折しかできない存在なのだろうか。私は彼がひそかに用意した回答は、人間は挫折しかできない存在だというものだったような気がする。‥‥」

 

 あの戦争から79年が経つ。世界は相変わらず、戦争の世紀だ。80年前とは変わらない。人間という存在、人類そのものを問わない限り、この戦争はますます生命体、地球の破壊へと向かうだろう。