内田樹「街場の戦争論」から

 

    2024年を迎えた。この日本、この世界はどうなるか。地球はどうなるか。

    プーチンは、侵略戦争に生き甲斐を感じ、イスラエルの指導者は、歴史的な怨念を軍事攻撃ではらそうとしているかのように見える。

    日本の政治家は、およそ「献身」とは縁のない様子だ。自民党の欲得政治家は金づるに群がる。

    内田樹は、「街場の戦争論」に、こんなことを書いていた。

 

    「今の日本のトップには、危機管理能力のある人間がほとんどいない。一朝ことあるときに、本領を発揮して人々のゆくべき方向に率いていける指南力のある人間は、今の政官財のどこにも見当たらない。

    島尾敏雄との対談の後、吉田満は、震洋特攻隊隊長、島尾中尉についてこんな評言を書き留めている。」

 

 「島尾隊長が加計呂麻島時代、島に住む人たちから『ワーキャジュウ(われわれの慈父)』と呼ばれ、部下からは『ひるあんどんのような』上官と噂されていたことは、よく知られている。同期の仲間のあいだにも、有能で沈着で、大人(たいじん)のような男、という評判が残っている。

    慈父とか昼あんどんとかいう形容は、戦局も押しつまった第一線基地の息苦しい空気を考えると、軍人としても人間としても、最高級の賛辞というべきである。」

                島尾敏雄吉田満『特攻体験と戦後』

 

    いかにも現場を踏んだ人らしい言葉だ。ひるがえって、今の政府高官や国会議員の中に、戦時の第一線に配属されたときに、人々から「慈父」と呼ばれ、部下から「ひるあんどん」と呼ばれて慕われるような「最高級」の人が一人でもいるかどうか。いないと思う。そのような人間的資質を育成する教育プログラムは戦後日本には存在しなかった。

    競争相手を蹴落として、自己利益を最大化することに巧みな人間、上意下達組織で、上司が右を向けと言ったら朝まで右を向いているようなタイプの、イエスマンばかりを作り出してきた、そんな人間しか出世できないようにプロモーション・システムを設計してしまった。

    イエスマンしか出世できないというのは、平時に最適化したシステムだ。その限りでは合理的だ。戦争も、天変地異も、テロも大恐慌も、そういう非常事態が絶対起こらないという条件下ではイエスマンこそ「模範」である。

    だが人類の歴史は「豊かで安全な時代は長くは続かない」ということを教えている。どのようなシステムも必ず歴史的条件を失って壊死する。崩壊する。その時に集団が生き延びるためには、スペック(仕様)が、「非常時対応」になっている人間が存在しなければならない。

    「非常時対応」の能力というのは、システムが崩れる時に、局所的に生き残っている「条理の通った場」を見つけ出す能力のことである。瓦解するときに、「こっちだ」と言って、危機を回避する一本道を見つける才能のことだ。

 

        <2022・.5・.31「静かなドン」の会話>につなぐ