今、日本はどこに向かっているのか <2>



 安倍首相は「絶対にない」と断言する。
 「米国の戦争に巻き込まれるのではないか、はっきり申し上げます。絶対にありえません。」
 「自衛隊が、かつての湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことは今後ともありえない。」
 「絶対」という言葉は主観だ。主観は自分の思いだ。客観的事実ではない。安倍首相は、主観を断定する。よくぞ言えたものだ。それを聴いている国民は、そういうことならまあ大丈夫かなと、まんまと信じこんでしまう。信じるというのも主観、自分の思いだ。事実はどういう風に展開し、どういう結果が到来するか、そこまで考え推理することは困難だから、国民は結局首相の言葉を信じ、国の運命をまる投げしてしまう。集団というものは強いリーダーシップになびいていく。
 かの大戦において、
 「日本は神国だ。絶対負けることはない。最後には神風が吹いて敵をやっつけてくれる」
その言葉を多くの国民は信じた。信じず、戦争を批判するものは非国民として弾圧された。
 日本は原子力発電を全国に建設した。
 「原発は決して事故を起こすことのない、絶対安全でクリーンなものであり、日本の技術は最高である。」
 その神話を信じたあげくが、福島の事故だった。とりかえしのつかない大事故であるにもかかわらず、事故の被害を過小評価して再稼働に舵を切り、あまつさえ原発を輸出しようとしている論理も「絶対大丈夫」。
 世界のどこででも戦争が可能になる道を開くシステム装置の法案を安倍内閣は決定した。
「こんな危険なことを、なぜ国民は反対しないのか。家族は不安でいっぱいのはず」という自衛隊員の母親の声は、どこにも届かない。肉親だから危機を敏感に感じるにもかかわらず。
 この安保11法案は、国会議員自身にもよく判らないものだという声が出ているらしい。国会議員にもよく判らないものを国民はどう理解する? 
 判らないものを判ったような気分にしようとする。だから政権は単純化して言う、「絶対大丈夫なものです、私たちに任せなさい。」
 そうして国民は判らないままに、一つの方向に傾斜していく。

 さて島尾敏雄が体験したことはどのようなことだったか。
 昭和18年10月、彼は志願して海軍予備学生になった。予備学生は総数三千人ほどいた。基礎訓練を受け、その中から三百名が横須賀の海軍水雷学校に回されて、魚雷艇の運用と戦法を教えられた。魚雷艇は、魚雷を二本舷側にかかえ、七人ほどが乗り込む少舟艇、明けても暮れても魚雷艇に搭乗して敵艦に向かう必殺戦法の訓練を受けた。昭和19年の初夏、総員集合がかかる。いきなり特攻隊への志願を許可する旨が言い渡された。その翌日、全員が特攻を志願したと発表された。
 志願兵は、人間魚雷回天に乗るもの、アメリカが自殺艇とあだ名をつけた震洋に回されるもの、特殊潜航艇咬竜に乗りこむものなど、五分野に分けられて、コレヒドール、中国沿岸、沖縄奄美、フィリピンなどの基地に送られた。
 島尾は、出撃にそなえていたときの心境を、昭和42年にこう述べている。
「そのときの精神状況は、どうも変ではあったに違いありませんが、実のところ今もってよく分かっていないのです。沖縄周辺に千を越えるアメリカの艦船が集まっているという情報が入っていましたから、沖縄島がいきなり陥没したら、その渦にアメリカの艦船が全部巻き込まれて無くなってしまう、そうすれば特攻戦の発動がなくなると、そんなことを本気で考えました。恐怖を和らげようといろいろ考えるわけです。いよいよ出撃の時、孤島へ戦線離脱してしまおうかなどと妄想したこともあります。」
 1945年8月13日、出撃命令が下る。が、発進命令は出ず、日本は無条件降伏となった。
 隊員たちは敵艦に打撃を与えて自らを消滅させたもの、事故で死んだもの、敵弾に倒れたもの、命助かって敗戦後自決したもの、そうして島尾のように生きながらえたものに分かれた。
 昭和41年8月15日、島尾の文章から。
「命令が出ればいつでも死に向かって出発しなければならぬ生活を送ったことが、その後の私にどんな役割を持ったのか、よくわからない。敗戦直後から特攻隊崩れということばがはやったとき、自分は崩れなさすぎると考えていたが、今振り返ってみるとやはり崩れていたのだろう。おさえなければならない弱い部分も露出してかえりみないでおれたのだった。なにか不吉な事態が身に起きれば、すぐ最悪の場合を考え、気分をそちらに移し、それの来るのを待つような姿勢を身につけてしまったと思う。特攻出撃した者としないで生き残った者との間には、まったく質の違う越えることのできない隔絶がある。それは恐ろしい恐怖でささくれだっている。にんげんには、おたがいが殺し合うことに、なにか理解できない神秘が含まれているのだろうか。なぜ、殺し合いが絶えないのか。このごろ、水雷学校の同期生から便りを貰うことが多くなった。何かが感じられ始めたのだろうか。世間の人たちの調和を失った生活の中から、静かな、しかし感じやすい恐ろしさがしのびよってくるようだ。」

 安保法案を強引に推し進めている者たちは、戦場に行くことはなく、彼らは戦争を知らない。戦争を押しとどめるための安全装置をはずしてしまえば、「絶対」という主観は通じなくなる。
 日本が今立っているこの重大な曲がり角、妥協したり、依存したり、無関心になったり、逃避したりしてはならないと思う。