今から81年前、昭和13年(1938年)6月、月刊誌「ケルン」が60号で廃刊になった。
朋文堂から出ていた月刊の山岳雑誌だった。昭和8年から5年間、60のケルンを積みかさねてきた「ケルン」も、大陸への侵略を推し進める戦時の風雲に倒された。
ケルンという言葉は、アイルランド、スコットランドで使われていたゲーリック語に由来する。山野に石を積み重ね、境界にしたり、道標にしたりした。
「ケルン」第一号の巻頭は、
「さあケルンを積もう! 君たちの協力に待って、一つずつ小石を集め、積み重ねることにより、少しでも大きく、強く、頑丈に‥」
と呼びかけた。(ケルン」には、登攀記録、岳人紹介、山岳研究、随想、生物・気象などの自然研究、文学などが掲載された。稀有の雑誌だった。
「ケルン」最終号には、たくさんの人の、廃刊を惜しむ声や感謝の言葉が寄せられていた。編集部は、次のような文を載せた。
「支那事変起きてよリ本務は繁劇化し、『ケルン』に割きうる時間は激減した。今や近い機会にこの情勢の転化を見難きことが明らかになった。国はあげて長期戦下にあり、時局と共にわが山岳界の生長層が雌伏期に入ったこともピリオドを打つ上での一つの認識である。」
寄せられた別れの言葉のなかから、いくつかの文を抽出しよう。
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吉沢一郎
「ケルン」はついに斃れた。しかし再び「ケルン」を要求すべき時代は必ず近き将来に来るものと思う。「ケルン」の踏み来たった道は正しかった。その正しさ故に、これを支持し得ぬ日本登山界の現状を悲しむ。
黒田初子
非常時だと何故に山の本をやめなくてはならないのでしょうか。非常時にこれを役立てるのが国家のためになるのではないでしょうか。嵐に倒された「ケルン」の再び山頂に積まれる日を待ちましょう。
粟飯原健三
出征せんとしている私にも、「ケルン」廃刊は耐え難い。今日の多難な生活に心の潤いを与えてくれたのは「ケルン」だけであった。北支の第一線にあある山友だちへ送った(ケルン」が心から喜ばれた。その気持ちがよく分かる。
(つづく)