ヘッセ、放浪する人<4> 「戦争と平和」

  ゲーテ像 ウィーン

 ヘッセはまた「戦争と平和」について書いている。「戦争と平和」のテーマは、人類の歴史が始まって以来つづく永遠のテーマ。原始の時代は、わが家族、わが部族を守るために、生き延びるために戦争があった。しかし、近代現代になるにつれて、政治権力者による複雑化し、巨大化した、破滅的な戦争になった。
 第一次世界大戦に突入して祖国は破滅し、再びドイツは第二次世界大戦で敗戦を迎える。1914年から始まるヘッセの「戦争と平和」についての考察は、1946年に出版されている。
 本文は長いので、その一部の要旨を書いてみる。


 <人間は動物として生きているかぎり、戦いによって生き、他のものたちを犠牲にして生き、他のもたちを恐れ憎む。生きることはすなわち戦争である。
 「平和」が何であるかは規定しがたい。
 平和は理想である。平和を破壊するのは簡単だ。ちょっと息を吹きかけるだけで十分である。互いに頼りあっているふたりの人間でも、真に平和に生活を共にするのは難しい。
平和は、思想として願望として、目標として理想として、古くからある。
 「なんじ、殺すなかれ」という言葉が数千年来存続している。人間がそういう言葉を発しえること、そういう要求をなしえること、それは人間を特徴づける。
 人間は動物ではない。人間は、できあがったものではなく、生成しつつあるもの、一つの試み、予感である。未来であり、あこがれである。
 「なんじ、殺すなかれ!」という言葉が初めてかかげられたときは、途方もない要求だった。それは「なんじ、呼吸するなかれ」というのとほとんど同じであった。いっけん不可能であり狂気のさたであった。それでもこの言葉は維持され、今日もかわることなく通用している。それは、法律や、人生観や、倫理観をつくりだし、実を結び、人間の生活を揺すぶりすき返してきた。
 「なんじ、殺すなかれ」というのは、なんじ自身から他の人を奪ってはならない、なんじ自身を損じてはならない、ということである。
 他の人は他人ではない。世界にあるすべてのもの、無数の「他の人びと」は、わたしがそれを見、感じ、関係をもつかぎりにおいてのみ、わたしにとって存在する。わたしの生活は、わたしと世界、すなわち「他の人びと」とのあいだの関係からだけ成り立つ。
 このことを認識し、予感し、この複雑な真理をさぐりあてることが、人類のこれまでの道であった。
 この戦争はその規模、その恐るべき巨大な機構だけでも、もう今後の世代を威嚇して戦争をやめさせるに適しているという意見は、完全にまちがっていた。
 殺人をおもしろがる人は、戦争で殺人が嫌いになることはない。戦争が引き起こす物質的損害を悟ったところで、何の役にも立たないだろう。人間の行為は、百分の一も理性的考慮からは生じない。
 理性的な道で、説教や組織や宣伝によって世界平和が招来されることをわたしは信じない。
 だが、どこから真の平和はやってくるだろうか。
 掟からでも、物質的経験からでもない。それはすべてこの人間の認識からやってくる。
 無数の人によって、無数の形で認識され、無数のやり方で表現されているが、常にただ一つの真理がある。それは、われわれの内にある生命、わたしや君やわれわれ各人の内にある生命の認識、われわれ各人が心にいだいている秘密な魔法、秘密な神性の認識である。
 それは、あらゆる対立の組み合わせを刻々と止揚する。インド人は「真我」(アートマン)といい、中国人は「道」(タオ)といい、キリスト者は「恩寵」という。
 ある最高の認識が得られるとき、イエス仏陀プラトン老子におけるように奇跡の始まる入り口が踏み越えられる。そこで戦争と敵意が終わる。そのことを、聖書や仏陀の教説のなかに読むことができる。笑いたいものは、それをあざわらい、「内面化の遊戯」と呼ぶがよい。それを体験するものにとっては、敵が兄弟となり、死が誕生となり、恥辱が名誉となり、不幸が運命となる。
 地上のあらゆるものは、二重の姿を示す。「この世のものである」とともに「この世のものではない」のである。「この世」は、しかし、「われわれの外にある」ものを意味する。われわれの外にあるものはすべて、敵となり、危険となり、不安となり、死となることがある。この「外的なもの」はすべてわれわれの知覚の対象であるばかりでなく、同時に、われわれの魂の創造物であるという経験によって、外的なものを内的なものにかえることによって、夜明けが始まる。
 わたしは自明なことを言っている。だが、弾にあたって死ぬ兵隊のひとりひとりが、あやまりの永遠な繰り返しであるように、真理も、無数な形で、永遠に絶えず繰り返さなければならないだろう。>

 ヘッセはこのように考えた。
 翻訳文は理解しがたいところがある。充分咀嚼できない部分がある。訳者の高橋健二は、このように解説する。
 「愛や美や聖なるものの本質は、結局は自分自身の中にある人間に立ち返って、愛も幸福も『われわれの内部』にあることを悟れ、と言っている。『戦争四年目に』と題する詩では、

   世界は戦争と不安に息詰まろうと、
   方々で
   だれの目にもとまらないが、ひそかに
   愛の火が燃え続けている。

と歌っているが、その愛の火はみんなの心の中より外にはない、とヘッセは言うのである」(「ヘルマン・ヘッセ ―危機の詩人―」)。