60年も前の、淀川中学校時代の教え子、萬代君は、「夕映えのなかに」を、しっかりと読んでくれた。卒業後の彼とは会うことも、文を交わすこともなかったが、この本を読んで感想文を送ってきて、同窓生の情報をいくつかメールで知らせてくれた。ぼくが「夕映えのなかに」に書いた淀川中学校時代、宿直室で、老教師コンちゃんと、一年生の小柄なアットンが、将棋の勝負をしたこと。そのアットンは五十歳で、肺ガンを患い、亡くなったという。ああ、ぼくは大きくため息をついた。アットンは、「夕映えのなかに」を読むことができなかったのだ。
遠い過去がよみがえる。
「夕映えのなかに」に書き込んだ学生時代、ぼくをストリップ小屋に連れて行った康夫は、大学に俳句会を立ち上げた。康夫は高校時代、結核を患い、療養所に入って俳句を作った。大学卒業してから、高校教員になり、俳句は作り続けたが、55歳で鬱病になり教員を退職、近鉄奈良駅の清掃員になった。そして57歳で自死したという。
ぼくは「康夫句集」を本棚から出してきた。康夫の句は心にしみる。哀しみが湧く。
こほろぎを足うらに鳴かせをり独り
こおろぎが輪になって吾を鳴きつつむ
うすうすと昼月ありぬ秋桜
人と見たり夏雲の威のくずるるを
入りがたきまで夕焼けに我が家染む
秋風はげしければ信じていると言ふ
二人来て座せり秋日を散らすなく
吐血後の秋の灯を点けとおす
看護婦が菊に触れ香をたたしめぬ
更けし病舎のどこかで甘藷をふかしおり
秋うらら雀がこぼす軒のもの
壁の蟷螂動かず病者去りにけり
親切がうれしくて月浴びに出る
明日も静臥一袋ずつミカン食ぶ