妹とし子は臨終のとき、賢治につぶやく。
「Ora Orade Shitori egumo」
ほんとうにけふ おまへはわかれてしまふ
ああ あのとざされた病室の
くらいびやうぶや かやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげな いもうとよ
‥‥‥
若竹千佐子は、賢治の妹とし子の言葉を作品のタイトルに付けた。「おら おらで ひとり いぐも」、小説は2017年に出版された。賢治は花巻、若竹は遠野、どちらも岩手出身、若竹千佐子63歳、この作品で文芸賞を受賞した。
小説の文中、各所に岩手弁が出てくる。
あいやあ、おらの頭このごろ、なんぼかおがしくなってきたんでねべか
どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如(なんじょ)すべかぁ
夫の周造が心筋梗塞で死んだ。繰り返される絶叫。
周造、逝ってしまった、おらを残して
周造、どこさ、逝った、おらを残して
ああ、くそっ 周造、いいおとこだったのに
神も仏もあるもんでね、神も仏もあるもんでね
かえせじゃぁ もどせじゃぁ
人はみな、頭の中でつぶやいている、自分の言葉で、自由な日常言語を使って、膨大な量を。若竹千佐子はそれを作品にした。
周造は逝った。おらのもっともつらく耐え難いときに。おらがどん底のときに、自由に生きろと内側から励ました。あの時、おらは見つけてしまった。喜んでいる自分の心を。そういう自分もいる。周造はほれた男だった。それでも周造の死は一点の喜びがあった。おらは独りで生きてみたかったのす。思いどおりに我の力で生きてみたがった。それが、おらという人間だった。なんと業の深いおらだったか。それでもおらは、自分を責めね。責めではなんね。周造とおらは、今でもつながっている。周造はおらを独り生がせるために死んだ。計らいなんだ。それが周造の死を受け入れるために見つけた意味だったのす。あの時、おらは分かってしまったのす。死はあっちゃではなく、おらのすぐそばで息をひそめて待っているのだす。おら何も知らねがったじゃあ。体が引きちぎられるような悲しみがあるのだということを。
自分は分かっていると思っていたのが、全部頭でっかちの、底の浅いものだったとしたら、心底身震いした。
おらの思ってみなかった世界がある。そこさ、行ってみって。
おら、いぐも、おらおらで、ひとりいぐも。
周造が今ある世界の扉を開いた。様々な声が聞こえる。どこの誰とも分からない声が聴こえる。樹でも草でも、流れる雲でさえ、声が聴こえる。話ができる。
桃子さんはしみじみ思う。悲しみは感動である。感動の最たるものである。恐れはねえのす。なじょって、待っているからだおん。死は恐れでなくて解放なんだなす。これほどの安心がほかにあったべか。
この小説は、独白でつながっていく。家族と、雲と、空と、樹々と、草々と、虫たちと、ダンナと‥‥。