生命の爆発

 

     次の室生犀星の詩三篇、味わってみたい。

 

 

       五月

   悲しめるもののために

   みどり かがやく

   くるしみ 生きむとするもののために

   ああ みどりは輝く

 

 

       苗

   なたまめの苗 きうりの苗

   いんげん さやまめの苗

   わが友よ

   あの あわれ深い呼びようをして

   ことし また苗売りがやって来た

   あの声を聞き

   あの 季節の変わり目を感じることは

   なんという微妙な気になることだろう

 

 

      あした

   あしたも また遊ぼう!

   時間をまちがえずに来て 遊ぼう!

   子どもは夕方になって そう言って別れた

   わたしは 遊び場所へ行ってみたが

   いい草のかおりもしなければ

   楽しそうには見えないところだ

   むしろ寒い風が吹いているくらいだ

   それなのに かれらは あしたもまた遊ぼう!

   ここへ集まるのだと 誓って別れていった  

 

 

 五月は生命が爆発する。

   室生犀星の生きた時代や、私が子どもの頃は、村や町の通りにも、野にも、子どもの声が跳びはねていた。街の中を物売りや修理屋の声がのんびりと通り過ぎていった。田野には、無数の生き物が動いていた。コミュニケーション が生きていた。

 現代文明は著しく発展した。

 進歩した現代社会は、生きた人間の生のコミュニケーションが衰え、田野には、鳥も虫も少なく、野にも町の通りにも、遊ぶ子どもの姿はない。家と学校と塾とでしか、子どもに出会わない。

 優しい生き物の心と声が消えていく。