モーツァルトを聴く

 

   この頃モーツァルトをよく聴いている。

   小林秀雄の、こんな文章に出会った。

 

 「五月の朝、ぼくは友人の家で、ひとりでレコードをかけ、モーツァルトのケッヘル593を聴いていた。夜来の豪雨は上がっていたが、空には黒い雲が走り、灰色の海は一面に三角波をつくって波立っていた。新緑に覆われた半島は、昨夜の雨しずくを満載し、大きな呼吸をしているように見え、海から間断なくやってくる白い雲の断片に肌をなでられ、半島は海に向かって徐々に動くように見えた。

    ぼくはその時、モーツァルトの音楽の精巧明晰な形式でいっぱいになった精神で、このほとんど無定形な自然を見つめていたに違いない。

    突然、感動が来た。

    もはや音楽は、レコードからやってくるのではなかった。海の方から、山の方から、やってきた。そしてそこに、聴覚的宇宙が実存するのをまざまざと見るように感じ、同時におおよそ音楽美学というものの観念上の限界が突破されたように感じた。」

 

    小林秀雄のこの文章はぼくの胸に響く。

    ぼくは今日もまたモーツァルトを聴く。