田中克己の詩「恥辱」

 

 第一次世界大戦は、ドイツ、オーストリアハンガリーオスマントルコなどの同盟国と、フランス、イギリス、ロシア、イタリア、日本などの連合国とが、大規模な戦争を繰り広げた。そして第二次世界大戦では、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国と、フランス、イギリス、アメリカ、ソ連、中国の連合国とが世界規模で戦争を展開した。

田中克己に、「恥辱」と名付けられた詩がある。第一次世界大戦に日本も参戦したとき、日本は、ドイツの租借地である中国の青島(チンタオ)に出兵し、ドイツと戦い勝利する。

克己は、昭和五年19歳、大阪高校(旧制)の生徒だった自分に模して、詩を書いた。

 

       恥辱

 わが若き日は恥じ多し

 前の欧州大戦は

 われが十九の時なりき

 わが学校にドイツ人 名をキュンメルと言ひけるが

 語学教師の任にあり

 日独国交断絶後 面(おも)は常に愁ふれど

 なほとどまりて教えしを

 十一月のことなりし

 朝食(あさげ)のあとの号外の

 わが軍勝てるを報じたり

 

 さてキュンメルの授業時は 三時限なり

 二時限の休憩時間に白墨(チョーク)とり

 われ勇敢に大書せり

 チンタオ イスト ゲフアレン (青島已陥落なり)と

 クラスメイトは喝采し われは

 文法的錯誤なきや数度確かめぬ

 始業の鐘は鳴らされぬ

 靴音とまり ドアをあけ

 かれキュンメルは入り来しが

 わが筆のあと見るやいな

 その白皙(はくせき)の面(おも)には 紅さし 

 やがて死者のごと 青ざめ きびすめぐらしぬ

 再び起る喝采

 われは首(こうべ)をあげざりき

 ――わが若き日は恥じ多し

       ☆    ☆    ☆

 第一次世界大戦で日本は参戦し、チンタオのドイツ軍に勝利した。国民は勝どきをあげ、勝利に酔い、生徒たちは不遜な行為に走った。

 ドイツ語教師を辱めた自己の浅はかな思念と行為、克己は慙愧の思いで詩に詠った。